今年は、山梨県に金光教の布教が開始されて130年を迎えたことから、130年を記念して「山梨集会」を開催、6月15日(土)甲府教会で山梨県布教130年「教師信徒研修会」を、翌16日(日)には甲府周辺で信徒部主催による「みんなの交流会」が開催された。
当日は天候のお繰り合わせを頂く中で、神奈川県、山梨県各地から信奉者65名(神奈川県41名・山梨県24名)が甲府教会に集い、研修会のテーマ「このお道の信心のすばらしさを学び、信心する喜びを語ろう」の下に研修会が開催された。
また、研修会の間には、子供達を対象にした集いが開催された。ここに、山梨県布教130年「教師信徒研修会」について報告させて頂く。
午後1時半、司会の進行で開会され、御祈念の後、連合会長山田信二師より開会挨拶があった。
開会挨拶 山田信二先生(神奈川山梨教会連合会長・横浜西教会)
山田師は、「今年は山梨県でこのお道の布教が始まって130年ということで、甲府に皆集まって一緒に集会を持たせて頂きたいとの願いで、今日の集会の企画を進めてきた。
この集会をとおして、山梨県と神奈川県が一つの連合会としての絆を強くして、連帯感をしっかり持って、神様の願いである世界の平和と人類の助かりに、そしてこのお道の信心で一人でも多く助かってもらえるように、働きを現わしていくことを願っている。お互い信心を高め合い、心を開いて、今日、明日の会合をよいものにしていこう」と挨拶された。
続いて、講話に入り、同じく連合会長であり、横浜西教会長の山田信二師より「金光教の信心のすばらしさ」との講題で講話を頂いた。
講話 講師 山田信二先生
講題「金光教の信心のすばらしさ」
今日は、金光教の信心をしていて、私がどのような喜びを感じているか、金光教の信心はどのようなことがすばらしいと思っているか、そのことについて基になる教祖様の教えを紹介させて頂きたいと思う。
信心のすばらしさとして、4つ上げてみる。
1. いつも安心でいられる
2.自信をもって生きられる
3. 喜びが増えていく
4. 希望をもって生きられる
1、いつも安心でいられる
*いつも神様の中
「神に会おうと思えば、にわ(土間)の口を外へ出て見よ。空が神、下が神。」(御理解12)
神様というのはあるものやら、ないものやら、神棚に手を合わせて拝んでいるけれども、神様は見えないものである。しかし金光教の神様は、一歩外へ出たら空が神様、地面が神様という、実体のある神様である。観念的な神様ではない。実体のある神様に心を打たれた思いをしたことがあった。
今改めて思うのは、この教えの中で「神に会おうと思えば」が実はミソで、私達は天地が神様と教えて頂いているが、神様に会おうと思わない人は、いくら神様の中に居ても見えない。神様というものはそういうものなのだ。神様に会おうと思えば、私達には確かな神様がそこにいらっしゃるということである。
「目には見えぬが、神の中を分けて通りおるようなものじゃ。畑で肥をかけておろうが、道を歩いておろうが、天地金乃神の広前は世界中であるぞ。」(御理解6)
神様のお徳というものは空気が見えないように、見ることができない。しかし気持ちを切り替えてみたら、神様のお徳の中に歩いているようなものなのだと。「畑で肥をかけていても」ということは汚いことをしていてもということがある。神様というのは清浄なご存在で清らかな所にいらっしゃる、と思う人もいる。
でも天地金乃神様は糞尿をかけている時だって、神様の中であるということである。道を歩いていても、仕事をしていても、遊んでいても、何をしていても神様のお広前であり、いつも神様の中にいるのだというのが、このお道の信心である。だから安心なのだ。この安心感は信心させて頂いている者ならではの喜びだと思う。
*いつでもどこでもお願いできる
安心していられるもう一つは、いつでもどこでもお願いすることができる、ということである。
「平生は平生でおかげを受けねばならず、まさかの折にはなおのことおかげを受けねばならぬから、どのような時にでも置き場を忘れて探し回ることのないように、信心の心は肌身離さずに持っておらぬと、用心が悪いぞ。まさかの時には裸でも田んぼの中でもよい、『金光様、お願いします』と頼めば、すぐにおかげを持って来てくださる。」(尋求教語録 17)
信心の心というのは、私達の心にあるわけで、それさえあればどこでもおかげが受けられる。神様にお願いすることができる。置き場を忘れてしまうことがあるというのは、ちょっと冗談めいて仰っているが、神様にお願いすることを忘れてしまうことがあるということで、それさえ忘れなければ、いつでもどこでもお願いして助けて頂くことができる。
「金光大神は形がのうなったら、来てくれと言う所へ行ってやる。」(御理解19)
これは教祖様が居られた時には、教祖様を頼りにして信心していたわけである。困ったことがあれば金光様の所へ行けば助けて下さる、金光様の所へ行けばどうしたらいいか教えて下さる、金光様がお願して下さる、と言ってみんな金光様を頼りにしていた。教祖様も段々に年を取られて、体調も悪くなって来られる。教祖様もずっと生きてみんなを助けてあげたいけれども、そういうわけにもいかない、と思われるようになったのだろう。まして信者さんたちは、金光様が死んでしまったらどうなるのだろうと心配していたと思う。
その時に、教祖様は「大丈夫、形が亡くなったら、どこにでも行って助けてあげることができるから、どこからでもお願いしていいのだよ」と言って下さった。だからどこからでもお願いすればいいのである。
このように、どこででもお願いできる、いつでもお願いできる、裸でも、田んぼの中ででもと仰っている。
東日本大震災の時、その後余震が毎日のようにあった。ある高齢の女性が「お風呂で頭洗っている時揺れたんです。それは怖かった。頭洗いながら、金光様、金光様、と言ってご祈念させて頂いて、おかげを頂いた」と仰っていたことを思い出した。文字通り、裸でも、神様にお願いすることができる、凄く有り難いことだと思う。
また、ある先生が、「朝早く目が覚めてしまった時には、ずぼら信心といって、布団の中でみなさんのことをご祈念させて頂いているんだよ。」という話をされていたことを思い出す。教会に居る時だけ神様にお願いするのではなく、どこに居ても、天地金乃神の広前は世界中だから、どこに居ても神様にお願いするという信心ができる。心配することがあった時に、すぐにお願いできることは有り難いことだと思う。
*お徳を頂いておけば安心
「徳のないうちは心配する。神徳を受ければ心配はない。」(御理解54)
信心するとお徳を頂くと言うが、お参りして、神様に心を向けて、今日でもこうやって参加されていると、神様がお徳を下さる。これは目に見えないものだが、そのお徳を頂いておけば、知らないうちに助けて頂けることになっていくという、それを信じていれば安心なのである。普段信心してお徳を頂いているのだから、必ず神様が守って下さるという安心がある。
*神様がつきまとってくださる
「商売するというから神は見ている。商売させていただくという心になれば、神はつきまとってさせてやる。」
(天地は語る282)
神様がつきまとって下さったら有り難いことである。させて頂くということは、「神様がさせて下さる」ということである。これは商売させて頂くであるが、商売の所を〇〇と変えて、そこに何でも入れたらいいと思う。仕事させて頂く、旅行させて頂く、お参りさせて頂く、遊ばせて頂く、病気の治療をさせていただくということもあるだろう。
そういうことを「する」と言うから、つまり自分でやると言っているから、神様は本当は手を出してやりたいと思うけれども、手を出せないでいらっしゃるわけである。「私の力ではできません、神様。どうぞ神様、させて下さい」と言ってお願いするような心になれば、神様がつきまとってさせて下さる、ということである。
私もいろいろ御用があって、これは大変だと思うことがある。そういう時に、大変だ、大変だと思うのは、自分がやろうと思っているから大変なんだと気づく。
「神様、どうぞさせて下さい。私には手に負えそうにありませんから、神様どうぞさせて下さい」、もっと言うと、「私の体を差し出しますから、どうぞ神様、して下さい」と言ってお願いするのである。
本当にそうである。買い物に行く時にも、「神様、ただ今から買い物に行きますので、どうぞ神様、買い物をして下さい」と願えると、神様がして下さる。何でもそうだと思う。皆さん是非やって頂きたい。
そういう気持ちでいると、「どうしよう、出来るかな」「どうしよう、出来ないんじゃないかな」という気持ちが減っていく。「神様がして下さる、神様が何とかして下さる」という思いになる。
この気持ちがどれだけ持てるかが信心になるか、ならないか、ということだと思う。折角神様がつきまとってくださるというのだから、つきまとって頂いて、安心でいたいと思う。
(講話に戻る)
2、自信を持って生きられる
*神様に愛されている私
世の中、自信がなく生きている人がいっぱいいる。自信がない、自分なんかダメなのだ、生きている値打ちがないのだ、というような思いで生きている人が大勢いる。その人達に胸張って生きて行ってもらいたいと思う。
「一生死なない父母に巡り会ったと思って、何事でも無理と思わないで天地金乃神にすがればよい。」
(天地は語る229)
私達は、一生死なない父母に巡り会っている。ある方が、子供の時に両親を亡くして、頼る親がない中で育って行かれ、自分の力で一生懸命生きて来た方が、金光教の教会に参ったら、「天は父、地は母ですよ。」と言われたと。
この神様は親神様なのだから、何でも神様にお願いしていけばいいのですよ。」という話を聞いた時に、自分には親というものはないと思っていたけれども、この私にもまだ親がいてくれたかと言って、それから神様に縋って生きて行くという生き方をできるようになった。という話を聞いたことがある。
親なる神様に助けて頂ける、これは有り難い。誰も愛してくれなかったにしても、神様だけは必ず私を愛して下さっているということを知るということで、自分の命の値打ちというものに気がついて胸を張って生きて行くことができる。自信を持って生きることができると思う。
*神様だけはわかってくださる
「人が盗人じゃと言うても、乞食じゃと言うても、腹を立ててはならぬ。盗人をしておらねばよし。乞食じゃと言うても、もらいに行かねば乞食ではなし。神がよく見ておる。しっかり信心の帯をせよ。」(御理解58)
人から悪口を言われることがある。誤解されていろんなこと言われることがある。分かってもらえないことだってある。その時に腹が立ったり、落ち込んだりする。
教祖様は、「神様だけは見て下さっているからな。」って、「泥棒だと言われたって、泥棒をしていなければいいじゃないか、神様は分かっているんだから、堂々としていなさい。」と言われる。これはたとえ話のようだが、実は教祖様が体験なさったことである。
教祖様の所に難儀な人がみんな集まって、助けてもらっているのを面白くなく思った人達が、教祖様をおとしいれるために、教祖様が強盗をしているというデマを流した。もしもこれが裁かれて、強盗をしているという濡れ衣を着せられた時には当時は死刑になるくらいのことだった。教祖様は大変な目にお会いになっていたわけである。
そういうことを教祖様は通って来られたから、神様が見ていて下さるんだから、堂々としていようと、話して下さったわけである。「しっかり信心の帯をせよ」ということは、ここで神様が見て下さっているということをしっかり腹入れしなさい、ということ。神様相手の人生を送るということが信心の帯をするということである。だから胸を張って生きて行くことができるわけである。
私の友達が愚痴をこぼしたことがある。「会議で自分はちゃんと筋が通った話をするんだけど、正しいことを言っているのに、みんなが違うという。誰かをかばおうとしているのか、あいつの味方をしても得しないと思うのか分からないけれども、そういうことがあるんだ」と愚痴をこぼした人がいた。
私はその時に、教祖様の話をさせてもらったら、「分かりました。」と言ってくれた。結局時間はかかったが、その人が言ったことが正しいということが認められて、そうじゃないと言っていた人達が、引かざるを得ないようになって行った。
どういうことをしたらいいか、分からないような時に、神様が見てて下さる、神様にお任せして行こうという気持ちになれば、胸を張って生きて行くことができると思う。
*世間の価値観から自由になる
「金の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ。」(御理解57)
これは、金属の杖は曲がる。竹や木の杖は折れる。これは例えであるが、金属や竹や木というのは、目に見える人間社会で値打ちがあると思うもの、頼りになると思うもののことである。偉い人の側にいれば大丈夫とか、お金があれば大丈夫、学歴があれば大丈夫、家柄があれば大丈夫、社会的地位があれば大丈夫、そういうものに縋って、頼って、胸張って生きている人が世の中にたくさんいる。
しかし、そういうものは、何かの拍子にポキッと折れたら、何の頼りにもならなくなることがある。人間は裏切ることがある。お金の値打ちは暴落することがある。家は地震で壊れることがある。だけど神様だけは裏切りもなされないし、壊れもなされないし、値打ちが落ちることだってないということなのだ。
神様を頼りにする生き方ができたら、今までお金持ってなきゃダメだ、社会的地位がなければダメだといって、時に苦しんでいることもあるわけだが、もうそんなものは頼りにならない、神様さえあればおかげを受けていける、という思いになれば、自信を持って、胸を張って世の中の価値に惑わされないで、生きて行くことができるということである。
(講話に戻る)
3、喜びが増えていく
*心の眼を開く
「真の道をゆく人は肉眼をおいて心眼を開けよ。」(神訓)
心眼とは=目に見えないもの(神様・よろこび)を見る眼。肉眼とは、物を見るためにある眼である。心眼、心の眼とは何かというと、目に見えないもの、すなわち神様のお働き、神様の愛情、そして見落としている喜び、そういうものを見る眼である。
*今を喜ぶ
「氏子らは、情けない、つらいことだと先を案じずに、今日もありがとうございます。今日もありがとうございますと思い、神様のおかげで雨にも遭わず、露にも遭わず、ひもじい目も寒い目もせず、ありがたいことと喜べ。」(Ⅱ柏原とく7)
嫌だなぁ、辛いなぁ、何で私はこう恵まれてないんだろうと、なりがちである。教祖様は、そういう時にちゃんと眼を開きなさい。神様のおかげで雨にも遭わず、露にも遭わず、ひもじい目もしない、寒い目にも遭わない、そのことを有り難いことだと言って喜びなさい、と言われている。
皆さんは有り難いと思っているだろうか。雨に遭わない、露にも遭わない、ひもじい目にも遭っていない、ということを喜んでいない人が多いと思う。そんなことは当たり前と思っているのではないか。これが神様のおかげと喜べたら、これ以上のことが見えてきて、更に喜べるということになっていく。
ところが人と比べて、あの人はいいな、デパ地下で総菜を買っている、私はどうしていつもスーパーで総菜を買っているんだろう、あの人はタワーマンションに住んでいる、私はどうして小さなアパートに住んでいるんだろう、と人と比べていると、ひもじい目にも遭っていないし、雨にも遭っていないんだけど、それが喜べないことが多い。でも人と比べないで、私はこれだけのものを神様に与えてもらっている、とちゃんと見る眼を開きなさい、と仰っているのである。
このみ教えは、人と比べて人よりいいから私は幸せだ、悪いから不幸せだ、という考えを捨てなさい、ということであると思う。人と比べているばかりではどうにもならない。
*イヤな過去も変えられる
「信心すれば、目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多い。知ったおかげより知らぬおかげが多いぞ。後で考えて、あれもおかげであった、これもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者じゃ。」(御理解53)
今まで私達が生きて来た人生を見た時に、嫌なことだって思うこともあるが、信心して心の眼を開いていくと、いやいやあれも神様のおかげではなかったかと、あのことがあるから、今の私があるんじゃないかと、分かる時がある。
最近聞かせてもらった話であるが、ある方が、まだ現役で仕事をされている方で、怪我をして、手術をして、二か月以上仕事を休んで療養している方である。ところがこの方は、仕事ができないこの間、私は信心の学び直しをさせて頂こうと思われた。そういう思いで療養の期間を過ごしていたら、なんと私はいたらないことだったかと、私はなんと自分勝手な生き方をして来たことだろうか、ということがいよいよ良く分かりました、と仰った。
これは凄いことだなと思った。なかなかまねができないことだなと思った。怪我をした、仕事ができない、休まなきゃいけない、痛い、これはマイナスと言えばマイナスである。辛い、辛いと言ってそこを通る人も居るけれども、そのことを通し人生において大切なことを学ぶことができた、怪我のおかげです、という人もいる。嫌な過去がおかげになっていく。嫌な過去がプラスになっていくということである。
(講話に戻る)
4、希望を持って生きられる
*神様は長い目で考えてくださっている
「神は人間を救い助けてやろうと思っておられ、このほかには何もないのであるから、人の身の上にけっして無駄事はなされない。信心しているがよい。みな末のおかげになる。」(天地は語る28)
今起こってきたことが辛いことかもしれないし、嫌なことかもしれない。なんで神様はこんな酷い目にあわすのか、という人もいる。でもそうじゃない、神様は助けることしか考えて下さっていない、このことだっておかげにして下さるおつもりがあるんだから、それを信じてしていきなさい、信心して行きさえすれば、末のおかげになりますよ、ということである。
これはもう皆さん経験がおありだと思う。本当に不思議。自分では思いもよらないことが先に待っているということがある。ただしこの教えの、「信心しているがよい」が大事だと思う。どんなことがあったって、必ず後いいことになるよという、ただの楽観主義ではない、信心して神様と一緒に生きていれば必ずおかげにして下さる、ということだと思う。
*神様にお任せすればおかげになる
「人間であるから、生きている間は先々のことを考えもしようし、心配の尽きる時はあるまいが、それがみなおかげになれば、心配はあるまい。心配は、信心すればみなおかげになる。心配は体に毒、神に無礼である。心配する心を神に預けて信心する心になれよ。おかげになる。」(天地は語る245)
心配する時はそれを神様にお願いして、お任せして、お預けして信心をしていくというつもりになる、そういうことがおかげの元であるということである。
*信心以上のおかげをくださっている
「あほうを出せいと言うたら親を出したという話があるが、親というものは子供にかけては、かわいいに余ってばかなものじゃ。世間の笑いものになっておっても知らずにおる。神様じゃというても、よくもあのような者におかげをやられることじゃ、あのような者が信心したとて、何で神様が受けられるものかと思われる者にでも、おかげをやっておられるのは、それは親じゃから、氏子がかわゆうてなられぬからぞ。神様のありがたいことを、そこからよう合点せねばならぬ。」(尋求教語録102)
神様も親ばかなのだと仰っている。「神様もよくあんな人におかげをあげるね」と思うような人でも、おかげを受けるているのは、それは親神様だから、親ばかだから、氏子がかわいくてならないから、足りなくてもおかげを下さっているのである。「よくもあんなものに、おかげをやられることじゃ、あんな人が信心したって」というのは誰のことだろうか。
これは、私達のことである。これは誰か信心していない、札付きの悪い人のことを言っているわけじゃない。そういう人も含めてであるが、私達もそうなのだ。神様の眼から見たら、足りている人なんかいない。「私は信心しているから、他の人とは違う」とか、「私の信心はあの人の信心とは違う」とか、思いがちである。
でも神様の眼から見たら、五十歩百歩、どんぐりの背比べ、至らない私達なのである。足りない私達なのだ。だけど神様は親ばかだから、私達のことがかわいくて仕方がないから、私達が足りないのに、おかげを下さる。これを忘れないようにしないといけないと思う。
私はこのことに気が付いてから、このみ教えが有り難くてしょうがないのである。私はあの人と違うと思っていたら、大間違いだと、このみ教えから受け取ってもらえたらと思う。
(講話に戻る)
おわりに
ここまで信心の有り難いこと話して来たが、しっかり覚えていてほしいみ教えを、最後に紹介する。
*信心の目標
「信心しておかげを受けて、難儀な人を助ける身にならせてもらうがよい。神の心になって、受けたおかげを人に話して真の道を伝えるのが、神へのお礼である。それが神のお喜びとなる。信心すると言っても、これまではみな神を使うばかりで、神に使われることを知らない。天地金乃神様は人を使いとなさる。神に使われることを楽しみに信心せよ。」(天地は語る368)
今神様を使う話ばかりをしたが、教祖様は、少しは神様に使われることをしなさい、と言われた。神様に使われるということは、人を助けること、信心を伝えていくということである。そのことを忘れないようにしたい。
大変だと思われるかもしれないが、神に使われることを楽しみにせよと言われる。「神様に使って頂けることは有り難いな」「神様は私を使ってくれている、有り難いな」ということ。これも自分でやろうとしてもできない。「わかってはいるができない」と言う人が多いが、先ほどの「〇〇をさせて下さい」という所を思い出してほしい。
信心を伝えるということも、自分でやろうと思うからできない。「私には力がありませんから、神様のお力でどうぞさせて下さい」という気持ちでお願いして、お役に立つということを心がけていきたいと思っている。
(講話に戻る)
(先頭に戻る)
続いて、信徒二名から信心体験発表をして頂いた。
●長尾健次さん(甲府教会)
私と家族が今まで神様のおかげを受けてきたことをお話させて頂きたい。私は仕事の都合で、東京、静岡、名古屋、盛岡、甲府、横浜と転勤してきた。その中で金光教にご縁を頂いたのは静岡教会で、とは言っても妻だけの参拝であったが、妻の記述からお話させて頂く。
娘が2歳近くまで体が弱く、毎月のように具合が悪くなり、2か月間の半分は薬づけであった。更に悪化して肺炎となり2か月間入院をした。その度に足をベッドに縛っての点滴、ただ可哀そうと思うだけで何もしてあげられず、それどころか、この状態で果たして元気に育つのか、という思いが頭をよぎったこともあった。
その頃社員の奥さんに金光教の信者さんがいて、今までいろいろおかげを受けた話を聞いた。そして藁をもつかむ気持ちで静岡教会に連れて行って頂き、先生にお話をさせて頂いた。先生は長い間ご祈念をしてくださり、「これは御本部のお水だからな、これを毎日一口飲ませなさい」「これを飲めば命が頂けるからな」と優しく仰ってくださった。
それから3か月くらい立った頃に、今度は麻疹に罹り、結構酷い症状であったが、発疹とともに体の中にある悪いものが全部出てしまったのか、麻疹を境に元気になり小中学校、高校と病欠ゼロで過ごさせて頂いている。部活の水泳では、毎日5千メートル泳ぐほど、健康な娘に育てさせて頂いた。
また、「金光教にご縁のある方と同じ時期に静岡で暮らすことがなかったら、この道に出会うことができなかったろう」というような記述であった。
妻の入信は静岡教会であったが、名古屋に転勤となり平針教会に参拝させて頂いた。当時長男は年長から小学6年まで、長女は3才から小学3年まで過ごし、少年少女会で御本部での少年少女大会等では鼓笛隊のパレードに参加したり、妻も信徒会大会や当教会のコーラスの御用をしたりして、教会に参拝していたが、私は教会の門までの家族の送迎のみであった。
それから次に、盛岡に転勤となった。12月の時期、担当地域が片道2時間半かかる地域であった。雪が深く地吹雪や凍結した道路、その道路の運転であわや命を落としかねない事故に遭ったこともあった。
ある日、私が妻に「神様に仕事がうまくいきますように、お願いしてほしい」ということが、私が盛岡教会に参拝するきっかけとなった。それまでは、実家の母が他の宗教の熱心な信者であったこともあり、妻が教会に参拝することは構わないのであるが、私が他の宗教に参拝するということは、親に対して申し訳ない、心配させてはいけないと思っていたからであった。
そして、妻が「金光教は他の宗教を信心している人でも、教会に参拝しても構わないのだよ」と、何気なく言ったことであった。その時は一気に気持ちが楽になった。藤先生にお取次を頂いて、家族と一緒に参拝するようになり、仕事上の事でも予想外のおかげを頂き、会社にも貢献することができた。4年間盛岡に在住し、長男が高2、長女が中2の時に、甲府に転勤となった。
甲府教会の牧野武男先生から「長尾さんの家はおかげの受け大将だな」と褒められもした。長男は大学進学で上京し、日本橋教会に参拝させて頂き、社会人になった現在も畑先生のお取次を頂いている。長女も甲府教会に参拝させて頂いている。
妻が静岡でご縁頂いたことが、子供二人にも引き継がれ有り難く思っている。私も甲府教会に参拝させて頂いた時から現在まで、ほとんど毎年御本部参拝のおかげを頂いている。甲府には10年住んでいたが、その後転勤で横浜に行くことになり、横浜西教会に参拝させて頂きおかげを受けてきた。
横浜に転勤となって3年立った頃、早期特別退職者を千人募るという問題が起きて、57歳であった私も対象で、山田先生にお取次を頂いて、退職後すぐに家を探した。教会に近い横浜近辺、実家のある静岡等、いろいろ探してみてもなかなか見つからず、畑先生のご葬儀の帰りに牧野眞幸先生とお話する機会があり、妻が山梨に居た頃、響が丘辺りに住むのもいいな、と思っていたという話をして、一週間後に眞幸先生から偶然新聞に入っていたという、響が丘分譲地のチラシを送って下さった。あまりにもタイミングの良さに驚いた。神様のお繰り合わせは凄いものだと感謝している。その後終(つい)の住処を響が丘にしてから、今年で19年になる。
昨年の5月に名古屋時代の仲間が集まってOB会があった。コロナ禍の影響で5年ぶりの開催で、しかもメンバーが高齢化しているので、今回が最後とすることになって、場所は蒲郡のホテルで、全員で13名、懇親会は6時からになっていて、その前にお風呂に入りくつろいでいた。
いよいよ楽しみな懇親会になって司会者が話し始めたその時に、フラフラとしてめまいがして気を失うのが分かった。「長尾さん、大丈夫」そのうち「救急車」という声も聞こえてきて、蒲郡市民病院に搬入され、すぐに手術を受けることができた。病名は心臓不整脈による脳梗塞ということであった。意識がもうろうとしている中でも「金光様助けて下さい」と一生懸命お願いした気がする。
その病院には脳外科もあり、日曜日の夜にも関わらず、担当の医師がいた事、発症から4時間以内の手術が効果的でありと言われているが、時間内に手術ができた事、全てが順調に進みおかげを頂いた。翌日はゴルフの予定であったが、ゴルフ場で倒れたらすぐ救急車が来てくれただろうか、すぐに手術を受けることができたであろうか、半身不随、あるいは最悪命を落としていたかも知れない。
お繰り合わせを頂き有り難いことであった。感謝のしようもない。おかげ様で後遺症もなく、車の運転もでき、日常生活も無事に過ごさせて頂いている。
今日まで神様のおかげをたくさん頂いて来た。娘が病弱であったことが入信のきっかけとなり、今では家族全員が金光教の信心をさせて頂き、3人の孫達と教会の月例祭や大祭で会えるのが楽しみである。この道に出会うことができて、本当に良かったと思う。
(信心体験発表に戻る)
●大貫孝一さん(野毛教会)
私が金光教とご縁ができたのは、山で起きた事故であった。今から36年前の昭和63年5月1日、5月の大型連休で、北アルプスの立山連峰、鹿島槍ヶ岳2.889メートルから五竜岳2.814メートルへ繋がる険しい縦走路で起きた事故であった。
5月1日11時半頃、急降下する縦走路で、私は雪庇を踏み外しバランスを崩して、雪面を500メートル滑落してしまった。同じパーティの仲間がトランシーバーで富山県警山岳救助隊に連絡してくれて、その時同じ山を登っていた水戸山岳会、大阪淀川山の会が協力して、日暮れ前、暗くなる前の18時30分頃に発見されたそうである。
その時私は無意識のまま両手をさすっていたようで、山岳救助隊の方が私の手が動いていることが確認され、生きていることが分かり、富山済生会病院にヘリコプターで運ばれた。病院での診断では、外傷性くも膜下出血、脳幹部の脳挫傷、その他低体温床、肺炎で、10日間の危篤状態、それで1か月間集中治療室に居た。
富山の病院では頭を包帯で巻かれた私を私の姉が世話をしてくれていた。その時、自分の孫や子供が見ず知らずの土地でこういう状況になっていたらと気をかけてくれていた富山市内に住む宮本美津子さんという、ご主人の入院で付き添っておられたご婦人が居られた。私たちの病室に来ては、意識のない時から私の名を呼んで励まし、力添えを下さった。意識が回復してからも、姉弟を気にかけてくれてお世話になった。
それで8月中旬に退院して、神奈川県の厚木にあるリハビリ病院に転院してMRI検査を受けたところ、脳の中には血も水もなく、毎日機能回復の運動をやり、あと作業療法、話す事がおぼつかない、多少の言語障害があって、言語療法もしていて、平成2年3月まで入院していた。しかし、歩行にふらつきや言語障害があり、神奈川リハビリに併設されていた更生施設に6か月間入所して、訓練を続けていた。
平成2年10月会社に復職したが、今まで通りとはいかず、悩むことがあって、いろいろな本を読んだり、ラジオを聴いたりしていたが、なかなかピンとくるものがなかった。そんな中、たまたま新聞のコラムに載っていたサトウサンペイ著『ドタンバの神頼み』が発売された時で、それを買って読んだところ、今まで金光教は知らなかったので、こんなに正直な宗教があるのかと思った。普通では考えられない。
私は山の事故から早寝早起きが日課となり、たまたま日曜日の朝4時頃ラジオをつけて、今はやっていないがニッポン放送『金光教の時間』を聞いていた。教えの無理じいはせず、他宗教をけなさないで、神社祠の前を通る時は頭を下げて通るとか、お供えを強制せず、そういう教えに心が引かれ、自然な宗教だと感じて、一度お参りしたいと思い、電話帳で金光教野毛教会を見つけて、「お参りしたいので」と伝えた。
平成2年11月23日に初参拝して鈴木祐先生、重光先生に会い、山での事故や病院でのこと、職場復帰したことや抱えている悩みを話し、程度は軽いが身体障害者6級になったこと等を話した。自分の内に溜めていたことを言ったので、心が軽くなりすっきりした気持ちになった。
年が明けて、平成3年になって少し落ち着いたところで、富山でお世話になった山岳救助隊の方々や病院関係者の方々に、体の回復具合や復職したことのお礼を言いに行った。富山に行った折、病院で私たちを気にかけて下さりお世話になった宮本さんに電話して、マンションにお邪魔した。
何気なくマンションの部屋を見渡したところ、よい話をしていく運動や、願いと実践のシールを見つけて、「このシールは金光教のものではないですか。」と言って、「私も調べて金光教の教会に参っています。」と言ったら、宮本さんもびっくりして、「こんな不思議で有り難いことがあるでしょうか。」と言って喜んでくれた。
私が金光教とご縁ができたのも富山の宮本さんの人が助かってほしいという神心が金光様に通じて、私の心と結ばれ金光教とご縁ができたのだと思う。これからは、偉そうなことは言えないが、周りの方々の助かりを祈って、利他の心で生きていきたいと思っている。自分のことは金光様がいいようにして下さると思っている。
(信心体験発表に戻る)
全体懇談
休憩した後、全体懇談に入った。事前に各自に渡した用紙(信心して良かったこと、有り難かったこと、信心の喜び等を書いてもらう)を司会が読み上げて、書いた本人に説明や思いを語ってもらった。
甲府教会長牧野眞幸先生に感話を述べて頂いた。
感話 牧野眞幸先生(甲府教会長)
今日は暑い中を遠方から沢山ご参集下さって嬉しく有り難く思っている。甲府教会が来年開教130年ということをお祝いして下さる気持ち、それからがんばれという励まし、エールの気持ちと受け止めさせて頂き、有り難く感謝を申し上げている。
山田先生のお話は、金光様の教えをかみ砕いて心の中にしみ込んでくるような、優しく分かりやすいお話で、本当に良かったと思う。皆さんのお話を聞かせて頂いて、みんな金光教が好きなんだな、金光教はいいなという気持ちが溢れているように思った。
私も金光教で良かったこと、信心して良かったことがいっぱいあるが、特に私の場合は、人間として生きるべき道というものを教えて頂いた。具体的には毎日おかげは頂いているが、私にとって一番有り難いのは、生きるべき道というものを教えて頂いた。道というのは金光様の教えである。道というものがあって初めて行くべきところへ行ける。道というものを教えて頂いた。教えというものは有り難いと思う。
國學院、神道の神主になられる方がそこに行って神主の資格を得るための学校があるが、その國學院大学の平井直房先生とある時お話をしたことがあった。その時、「金光教はいいな。」神道の学者で一番偉い人が「金光教は羨ましいな、教えがあるから。」と言われた。
神道は清めることが中心で、体系的な教えはない。その平井直房先生が「金光教はいいな、教えがあるから。」と言われた。今は教祖様はおられないが、教えが教祖様で、先程山田先生が金光様の教えを次々にお話して下さって、改めて「いいな、金光様の教えは。」と思った。
会合や集会に出る度に、金光教の仲間はいいな、信心仲間はいいなと思うのだが、金光教の信心する仲間同士で、「金光教はいいよね。」と言うだけではいけないなと思う。私も家族も周りの人達もおかげを頂いていくだけではいけないと思う。信心を知らない人達、難儀に出会っている人がいっぱいいるし、世界を見れば戦争をしている、どうしたら良いのか、外へ向けて金光教の教えを伝える、広めることをして行かないと、金光教はこんなにいい宗教なのに、段々衰退していく。私達は宝の山にいる。私はそう思う。
これから私達は、内々で信心を深めおかげを頂いていくと同時に、世界のこと、社会のことに目を向けて、難儀な人が助かるように、世界が良くなるように、この両輪で信心していかなくてはいけないのではないかと、この頃そう思うのである。私にとって、生きるべき道はどういう道か、教えて頂いたことが一番有り難いことである。
閉会行事に移り、閉会挨拶を山口和賀雄さんから頂いた。
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閉会挨拶 山口和賀雄さん(連合会副会長・信徒部長・子安教会)
まずは牧野先生有り難うございました。成功に導くためにいろいろとご尽力賜りまして、有り難うございました。そして、甲府教会の皆さま有り難うございました。
これだけの大勢の方が連合会の行事でお集り頂くことは初めてである。大勢の方が集まると、連合会の活動も発展していくと思う。山梨県で行事を行うことが少なく申し訳なく思う。
今日の山田先生のお話、とても分かりやすくお話し下さり、信心のすばらしさ、良く分かった。神様はいつでも近くにいて、助けて下さることを長尾さん、大貫さんの話で良く分かった。
私は最近マイナス思考がなくなった。少々失敗してもいいのだと、元気で長く生きられて楽しくとプラス思考になった。本当におかげ様である。信徒部長の御用を頂いて、勉強させて頂いて来たのだなと思っている。感謝している。
私の任期は後1年半で、山田先生が書かれている信心の目標、自分だけが助かるのではなく、周りの人も助けてあげる、そういう気持ちになれよと書かれていると思うが、そこまで私は行っていないので、行けたらいいなと思う。ここからまた勉強をして行きたいと思う。
今日は本当に有り難いことであった。山梨県布教130年教師信徒研修会、これで終わらせて頂く。明日は、牧野先生、ご信徒の方々が一生懸命努力して頂いた「みんなの交流会」を開催する。是非楽しんで頂ければと思う。
挨拶後、閉会のご祈念を頂き、甲府教会のお広前において参加者全員で写真撮影をして、午後4時過ぎに終了した。
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