(2018/07/03)
7月3日午後1時半、小田原教会のお広前を会場に、女性のつどいが開催されました。
今回は宮川晴江先生を講師に「吉備舞と御用」という講題でお話を伺いました。
晴江先生は、4歳と1歳のお嬢さんを持つ、若いお母様で、子供の時から熱心に吉備舞を勉強されています。最近では、10年ほど前に大船の芸術館で行われた首都圏布教120年記念集会で、吉備舞「えびらの梅」を見せて頂いたことを覚えております。
この日は、お話が中心で、吉備楽の歴史や成り立ちから晴江先生との関わり、指導者としての在り方など、多岐にわたってお話下さいました。
吉備楽というのは、明治の初頭、吉備の国(岡山県)に生まれた音楽で、明治から大正期にかけてかなり普及したのだそうです。黒住教、金光教が祭典楽として採用したとか。
先生は川上教会(愛媛県)の長女としてお生まれになり、お母様が吉備舞をなさったことから、小さい時からお稽古を始め、3歳の時に初めて大祭で奉納されたのだそうです。ご本部で奉納したのは当然として、アメリカ、オーストラリア、イギリスなどでもお祭のあとで奉納したことがあり、松山刑務所で受刑者の前で舞ったこともあるのだとか。
一時期反抗期のせいか、お稽古をサボったこともあったのだそうですが、地方指導員の資格を取り、お子さんに教えるということもしていました。その時、吉備舞を教えるという形をとりながら、実は信心を伝える、布教するという意味もあるのではと気づかされたそうです。振りについては妥協せず、厳しく教えるので子供はすぐに嫌になり飽きる。そこを叱ったり褒めたり、なだめたりしながら続けさせていくそうです。
稽古の前に、まずご祈念をする。お取次を頂く。心中祈念していたのを、声に出してご祈念するようにした。それは子供たちに「神様にどうお願いしていいのか、わからない」と言われたからだそうです。
「神様、〇〇ちゃんの家の御霊様、〇〇ちゃんは××の部分がまだできません。一生懸命お稽古していますので、どうぞ出来るようになりますように」とか「〇〇ちゃんは頑張って出来るようになりました。ありがとうございます。どうぞ御用を通して○○ちゃんの家が立ち行きますように、神様御霊様が喜んで下さるようなお役に立つ人にお育ていただけますように、」とか。こうしてご祈念やお届け、お取次を頂くということも理解してもらえるようになっていったとか。
また大祭当日の奉納前には、胸に御神米を入れてあげると、子供たちはとても安心するそうです。子供たちの親御さんは、当初吉備舞を習い事の一つとして見ていたのであろうけれど、子供たちの様子を見るにつけ、ご自身もお取次を頂いたり、お届けするようになっていったと言います。
いろいろな例話を挙げながら、吉備舞という御用を通して、①信仰を学ぶ ②おかげを実感する ③達成感を実感する ④教会の中に居場所が出来る という結果がついてくることを感じられたということでした。
昌也先生・晴江先生のご長女がもうすでに吉備舞を始められていて、大祭時に奉納されています。が、お稽古に来て下さるお弟子さんはまだないのだそうで、指導員の資格を持っていても、習いに来て下さる方があってこそ、資格を活かせるのだと思っている、今後も続けていきたいとお話を結ばれました。
吉備舞は女性だけのものでなく、男性も舞うことが出来、黒衣で舞うところなど、凛としていて実に素敵だとか。小さなお子さんお孫さんをお預けになってみませんか?吉備舞のみならず、信心継承を指導して頂けると思いました。
休憩をはさんで、御夫君の宮川先生をモデルに、お衣装の着付けを見せて頂きました。
あの独特の後ろがピンと立った形の袴は、絹の生地の中に薄い茣蓙(ござ)をはさんで作っているのだそうです。そのために固い感じになっているのですね。しかも着物の上に、30センチくらいの木製の板をはさみこんでいるのです。
当然痛いので、和らげるために、薄く小さな座布団形のものを背中に付けるようになっていますが、それでも痛くてさらにタオルをはさんだりするのだそうです。が、やはり痛い。つまり踊っている間中、痛みに耐えているのだと知りました。そういうご苦労は全く知らなかったので、ほんとうに驚きました。
休憩時間には、小田原の信者さんがコーヒーを入れて下さいました。
それが岡山駅前にある、信者さんが経営している喫茶店「おりづる」から直送のコーヒー豆なのだそうで、まろやかなコクのあるコーヒーの味を満喫させて頂きました。
参加者全員が自己紹介をしながら、感想や近況を語り合い、笑い声がしょっちゅう出る楽しい雰囲気のうちに、時間が来て、次回の再会を約して、閉会行事に移りました。
小田原教会の先生方、信者さん方が心を一つにして、おもてなしをして下さったという印象を受け、お気持ちうれしく有難く頂いた半日でした。