2024年女性のつどい報告(藤沢教会)
司会の山田初子さんのご挨拶に続いて、高橋健雄教会長のご祈念を頂き、続いてご挨拶があった。
「藤沢教会長・高橋健雄先生ご挨拶」
梅雨時の蒸し暑い日に、大勢の皆さんにお集り頂き、お礼申し上げる。皆さんのご信心のおかげで雨もやみ、有難いこと。藤沢教会を、女性のつどいの会場に選んで頂いたことにもお礼申し上げる。
さて、おかげを頂くと言うのはどういうことであろうか。日常生活の中では、楽しいこともあるが、嫌なこと辛いことも多い。そういう中で幸せな人生を過ごしていくには、神様のお守りなくしてあり得ない。おかげを頂かなくてはならない。
そのおかげにも小さなおかげや大きなおかげといろいろあるが、気づかないおかげというのも多い。命にかかわるようなおかげはすぐにわかるが、気づかないようなおかげを、我々はつい見過ごしてしまう。そしてお礼がおろそかになる。お礼が足りないとおかげは頂けない。
日々神様から頂いているおかげに気づき、わからせて頂いて、なお一層大きなおかげを頂けるように、信心を進ませて頂きたいと願う。
また最近は奇跡的なおかげは頂けないというが、そんなことはなく、奇跡的なおかげも現実に耳に聞き、目に見せて頂いている。奇跡的なおかげもたくさんあるのだ。今日の集会から、そういうところを学び感じ取って頂いて、なお一層大きなおかげを頂いてほしいと願うものです。よろしくお願いします。
信徒部長・山口和賀雄さんのご挨拶
雨の予報だったが、晴れ間が出てくれて、有難くお礼申し上げる。高橋健雄先生にはご無理をお願いし、会場を貸して頂き、また発表者の方々をご推薦頂いた。厚くお礼申し上げる。これこそ、おかげを頂いたと感謝申し上げる。
名ばかり信徒部長で、信心については何もわかっていないのだが、大勢の方々にご協力頂いて、こういう場を設けさせて頂いていることにお礼申し上げる、今後もよろしくご協力下さい。
山梨集会にも大勢の方々にご参加頂いたが、すでに報告が連合会のホームページに掲載されているので、どうぞご覧頂きたい。
このあと、3人の女性の発表者にご登場頂く
〇横井美代子(73歳)さん
藤沢市在住で、ご家族は、夫は亡くされて、お子さん4人、新潟県三条市の出身。藤沢教会にお参りして30数年になるという。
祖父母の代からの信心で、子供の頃から教会にお参りしていたが、高校生の頃ささいなことをきっかけにお参りしなくなり、10年ほど経った。
その間結婚し、娘が二人できて、夫の親と同居していた。下の娘が6か月の頃、おでこに湿疹が出来て、皮膚科に通うことになった。混んでいて、待っている間に散歩するのが日課になった。たまたま教会の前に出て、お参りさせて頂いた。あとで考えたら、皮膚科と教会はバス停二つ分の距離だった。
10年のブランクを感じさせず、先生は普通に接して下さり、私もお届が出来た。その後、夫の父親の商売が破綻し、借金が出来た。それまで、一心に願うということを理解できなかった私に、「何をしていてもどこにいても願うこと」と教えて下さった。父の姉が借金の肩代わりをしてくれることになり、願いぬいておかげを頂くことを実感した。
その頃3人目の子供を妊娠し、夫や両親は産むことに猛反対、教会では「おかげ頂いて産ませて頂きましょう」。教会と家で、真逆のことを言われる。教会で「無理です」とお届したら、「神様に無理はない、家族に産ませてもらうのではない、神様に産ませて頂くのです」と言われる。
結局実家に帰って、出産したら男の子だった。手のひらを返したように、夫も両親も喜んでくれて、神様に産ませて頂くということを実感させて頂いた。こうして、私は浪越教会で信心の基礎を作って頂き、転勤で藤沢市に住むようになった。
3年前、白内障の手術を受ける時、最初受診したA眼科の先生が信用できず、手術の予定を3日前にドタキャンした。B眼科を受診したらA眼科の紹介状が必要と言われ、困惑した。結局近所の方の一言から、C眼科を受診、紹介して頂いた病院で手術を受けることが出来た。その間お届していたら、先生から神様のお計らいですと言われて、有難かった。
皆さまはこれまでにも、いろいろなおかげ話を聴かれていると思うが、おかげの頂き方は人それぞれで、千差万別のおかげがある。私は一人ひとりが神様とつながって、おかげを積み重ねていくものだと考えている。他人のおかげ話は参考にするくらいで、神様とのつながりを大切に、おかげを頂いていってほしいと願っています。
高橋先生の補足
ご家族に反対されながら、神様に産ませて頂いたご長男は、今JALの機長をしておられます。
〇 小林佳代子(51歳)さん
藤沢市在住で、大分県の出身、ご家族は夫と子供二人、障害児支援のお仕事をしていて、10年前から藤沢教会に参拝している。
祖父母の代からの信者で、小さい時から教会にお参りしていた。小さい時はお祭の間、教会においてある漫画を読むのが楽しみだったり、吉備舞も習っていた。高校生の頃にはご神前のお掃除もしていた。洒掃(さいそう)のあと、先生が入れてくれるコーヒーが楽しみだった。
特に嫌がることもなく、素直に教会に出入りしたが、北九州市の大学に入って実家を離れてから、教会に行かなくてもいい生活、日曜日に遊べる生活を知り、青春を楽しんだ。
歯科医師を目指す人と知り合い、大学卒業後就職することなく、結婚したが、やがて夫が開業することになり、別府市の富士見教会に参拝、お届した。その後は手紙でお取次を頂き、その都度先生から丁寧なお返事や教会誌などを送って頂いて、自分では信心をしている気持ちでいた。
10年前の3月、おなかの調子が悪く、受診したら卵巣が腫れている、癌かもしれないので詳しい検査が必要との診断。高2と小5の子供がいて、すぐ入院というわけにはいかず、実家に電話して、そのまま小5の次男を連れて、飛行機に乗ってしまった。
とりあえず、その夜は実家で寝たのだが、夜中に激痛に襲われた。声を出すことも出来ないほどの激痛で、隣に寝ている次男を起こすことすら出来なかったが、幸い息子が気づいてくれて、家族を呼び、救急車で運ばれた。卵巣破裂、緊急手術を受けた。結果的に検査をせずに手術を受け、卵巣は組織検査に廻された。結果は3日後に分かると言う。
ベッドの上で、私は必死にお願いした。「どうぞ、癌でありませんように、3月末にある息子の野球の試合を観戦できますように」と。長男は野球部のレギュラーで大会に出場することになっていた。その時、「元気になれたら、教会にお参りします」と神様にお約束した。
結局、検査結果は癌ではなく、退院した私は元気に、野球の応援に行くことが出来た。このことをきっかけに、私は藤沢教会に参拝するようになり、以後たくさんのおかげを頂いている。
長男は歯科医師になったが、次男は自閉症で知的障害があり、癇癪を起すことも多い。事情を知らない人から、親の育て方が悪いと言われたりして、辛いこともあったが、神様と一緒に育てさせて頂こうと思って育てて来た。障碍者職業訓練所に入所、就職をめざすことになった。
3つの企業を紹介してもらい、体験実習をする。最初はいいのだが、最後の段階でお断りされるということが続いた。3回目の処で合格し、現在は製造関係の企業で働いている。
藤沢教会にお参りするようになって10年、信友がたくさん出来て、信心のお話が出来るのがうれしい。今までは親のお徳でおかげ頂いてきたが、これからは自分の信心でおかげを頂こうと思っている。神様に喜んで頂ける人になりたい。
高橋先生から補足。
ご長男は最初、歯科医でなく普通の医者になりたいと医学部も受験した。ところが、合格ラインに達しているはずの医学部に落ち、難しいとされる大阪大学の歯学部に、最後に合格した、これはもう神様のお繰合せとしか思えないが、兄弟揃って最後の場面で決まるという、神様のお計らいかもしれない。
〇 吉田文枝(57歳)さん
佐賀県の出身で、現在は横浜市磯子区在住、ご家族は夫と子供二人。歯科衛生士をしている。祖父母の代からの信心で、結婚を機に横浜市に住むことになったが、15年前から藤沢教会に参拝している。
私の母は10人兄弟の末っ子。祖父母はあまりに生活が苦しく、ある時死のうと思って、線路を歩いていたという。それに気づいて止めてくれた方が金光教の信者で、教会に連れて行ってくれた。
その後、生まれたのが私の母、從って、金光教がなかったら母は生まれておらず、私たちもいなかったということになる。母はその話をよくしていた。母は私の結婚が決まった時、夫にもその話をしていて、そのせいで、夫は私がお参りすることに反対したことはなく、神様の存在を信じているのかどうかはよくわからないが、教会に来て手を合わすことをしている。
私が信心をするのは、予防の一種だと思っている。病気になる前、つまり難儀が起きる前に、神様にお願いして守って頂こうということ。よいことがあったら感謝し、お礼を申し上げる。
横浜市に住んでいるが、息子が藤沢市の中高一貫の学校に入ったことで、母が横浜市や藤沢市の教会を調べてくれて、ここに教会があることは知っていた。が、お参りはしていなかった。
結局神様が導いて下さったのだと思っているが、息子が軽い登校拒否の状態になり、学校に行ったり行かなかったりの日々。夫婦仲もぎくしゃくしてくるし、とうとうお参りして、先生に話を聴いて頂いた。「心配は神様にあずけて、帰りましょう」と言われて、ここはまるで実家のようだなと思った。
心配は神様にあずけているが、自分でも何かさせて頂きたいと思い、お琴の練習に参加させて頂いている。先生は86歳と高齢なので、先生の送迎をし、喜んで頂き、信友が出来てうれしい。お琴はほとんど進歩していないけれど、神様に心を向け、教会に足を運ぶことが出来て、少しは信心の稽古になっているかなと思っている。
うちは猫を3匹飼っていて、つい最近そのうちの1匹が死んだ。それは娘の猫で、火葬にしてお骨にしたあと、娘と相談した。このままにしておくのは、何だか可哀そうだ、と。教会に電話してみようということになって、ご相談したら、葬儀を仕えて下さると言う。
教会に着いた時はもう8時になっていたが、先生はお装束を着け、祭詞を用意して待っていてくれた。猫のご葬儀をまるで人間のように仕えて下さって、私も感動したが、娘はもっと喜んだ。亡くなったものに、どう対応すればいいのか、いい勉強になったし、娘はこの経験で信心継承がしっかり出来たと思っている。楽しそうに教会に行き、楽しそうに家に戻る。これは、信心が家族に伝わる基本だろうと思うので、私は心がけている。
もう一つ皆さんに本を紹介したい。「今日、誰のために生きる?」。今若い人たちによく読まれていて、ベストセラーになっているらしいが、中身は「小さな幸せの積み重ねが大きな幸せになる」「毎日ご飯を食べられるのはとても有難いこと」「只今と言った時、お帰りと応えてくれる人のいるうれしさ」「抱きしめられた時、温かいと感じる心」などなど、金光教の信者である私からみたら、ごく当り前のことが書かれている。
若い人も、こういう宗教的価値観を支持している。ただ、金光教のアピールの仕方、コミュニケーションの取り方に遅れがあって、若い人に受け入れてもらえないのではないか。若い人好みの音楽や美術などをとっかかりにして、接触の仕方を工夫してもらえればと考えるが、どうだろうか。
また長く信心している人は、お結界で「ありがとうございます」しか言わないのではないか。お結界は辛さ苦しさ心配、弱音を吐き出す処、神様にあずけて、楽しそうに家に帰ってほしい、家族に信心が伝わると思う。
かなり端折っているが、概ね以上のような発表があり、10分少々休憩した。
休憩後、高橋義吉さん(連合会信徒部委員 藤沢教会)のリードで、少し固くなった体をほぐす体操を指導して頂いた。高橋さんは座間市のサークル活動で、体操クラブや歩く会に所属しておられる。
その後、山田初子さんのリードで、まず教会別に自己紹介をして頂き、併せて、発表を聞いての感想を話して頂いた。
以下列記する
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・3人の発表者の方々は、神様としっかりつながった信心をしておられると感じた。・今日は、同性同年代の信者の方々のお話を聴かせて頂いて、栄養補給して頂いた感じです。
・難はみかげの始まりと言うが、ほんとうだなあと思った。
・お話を聴いていて、涙が出た。感極まったという感じ。
・最近年をとってきたせいで、いろいろ病気が出て来て、ちゃんと信心しなさいよってお尻を叩かれているような気がする。私も発表者の方々のように、しっかり信心しておかげ頂きたい。
・日ごろお付き合いのある方々がお話された。月例祭のあとのお茶会などで、時々話を聴かせて頂いていて、知っているつもりでいたが、今日改めてまとめて聴かせて頂き、もらい泣きをした。
・猫のお葬式に、お装束を着けて、祭詞を作って、待っていて下さった先生の在り方に、感動した。娘さんに喜んでもらえて、ほんとうによかったと思う。
・ペットは家族と同じなので、人間と同じようにさせて頂こうと思った(高橋先生)
・ご両親や祖父母の在世中は全然お参りしなかったが、ご葬儀をお仕えしたあと、お子さんたちがお参りになるようなことは、よくある。親戚の方などもお参りされたりする。ぜひ教徒になって、金光教でご葬儀を仕えて頂きたい。金光教のご葬儀は丁寧に故人をしのび、心を込めて大切にお仕えすると言われる。ご葬儀は大切な布教の場であると思われる。そのためには「葬儀は金光教で」という希望を、生前によく話しておく必要がある(高橋先生)
・私は娘を亡くしているが、その時このお道にご神縁を頂いていてよかったと思えた。
発表者の方から、「この中で初代の信心という方おられますか?」と質問が出て、3人の方が手を挙げた。いずれも金光教の信者と結婚された、いわゆるお嫁さんの立場の方だった。
・実家は仏教徒だったが、母が「信心をしている人、いいわねえ」と言ってくれた。
・最初はこの宗教いいのかな、とか、神様っているのかな、とか思っていたが、受験とか病気とか、いろいろな体験を積み重ねていくうちに、この神様を信じていいんだなと思うようになった。
さまざまな意見を聴かせて頂いたが、予定の時間になり、山口信徒部長の挨拶
今日はいいお話を聴かせて頂いた上、皆さんの反応がすばらしく、活発にご意見ご感想を頂いて、充実した女性のつどいになった。連合会の集会はいつもこういうふうでありたいと思う。
行事に追われ、忙しさにかまけていて、つい腰が引けてしまうこともあるのだが、今日は喝を入れて頂いた感じ。信徒部長の御用を全うさせて頂かねば、と改めて心を引き締めた。お礼申し上げる。
高橋先生、発表者の方々、そして暑い中参加して下さった皆さんに、厚くお礼申し上げます。
その後信徒部長の先唱で、ご祈念、写真撮影をして、解散した。参加者は9教会から35名。
発表者のうち、お二人は、地方から出て来られてすぐには、参拝しておられず、かなりの年数の後に、教会に参拝するようになっておられる。明らかに神様からのお導きだと思うが、それだけではなく、親御さんが教会の所在地を調べて教えたり、お参りを勧めたりして、努力されているように思う。
信心継承にはやはり親の努力も必要だなと思った。もう一つ、教徒になることの大切さを考えさせられた。生前に、金光教で葬儀をしてもらいたいこと、大体の手順のようなことをきちんと子供たちに伝えておく必要があると思う。
今日は大切なことを教えて頂けたと感謝しながら、藤沢教会をあとにした。暑い中、準備をして下さった藤沢教会の皆様に厚くお礼申し上げます。(記録・大塚東子)