2021年女性のつどい (丸子教会)

(2021/06/20)

金光教神奈川山梨教会連合会 信徒部主催 女性のつどい 報告     

日時:2021年6月20日(日)13時半~15時10分
場所:金光教丸子教会

 定刻少し前に出席者全員が揃い、開会されました。司会の山田初子信徒部次長の開会宣言とご挨拶、続いて横山光雄丸子教会長の先唱でご祈念を頂き、山口和賀雄信徒部長のご挨拶が続きます。

 

 「連合会信徒部長の大役を仰せつかった時から、横山先生には何かとご指導頂いていて、ご相談に乗って頂いている。

 

今回の女性のつどいでも大変お世話になり、感謝している。月例霊祭の時間を繰り下げて頂き、終了後そのままお残り頂くという形にして下さったので、たくさんの丸子教会の信者さんのご参加を頂くことになり、感謝している。

 

 コロナ禍のため、ほとんどの会議、集会がリモートになり、こうして対面で集会を持つことは久しぶりのこと、直接お目にかかれる集会は、やはり温もりを感じることが出来て、有難い。連合会の活動方針の中に「お道の仲間をつくろう」というのが、あるが、今日はお二方の信心仲間のお話を聴かせて頂いて、いっそう信心を深めたいと願っている、どうぞよろしく」

 


 今回は「私にとって教会とは」というテーマでお話を聴かせて頂くことになっていて、まず渡辺宣子さんから。

渡辺宣子さん

 私の両親が金光教の信心をしていました。渡辺家に嫁いだあとも、参拝を続けていて、3人の子供に恵まれました。3人目の女の子(美登里)が生後44日目に風邪を引いて肺炎になり、高熱を出したのです。そのために障がい児になってしまいました。
 発作を起こすようになり、とまどい、不安、心配でいっぱいでしたが、発作の度に教会にお電話して、お取次を頂き、「何があっても神様がついていて下さる、先生がお祈りして下さっている」と思いましたし、本気で神様に向かうようになったと思います。

 

 美登里は何度か入退院を繰り返しましたが、発作が止まることはなく、何百回と起こしています。薬はとても大事で、忘れると発作が起きるので、絶対に忘れることは許されません。薬局で薬を頂くと、まず教会に参り、先生にご祈念を籠めて頂き、それを飲ませるようにしていました。2年前から美登里は施設に入れて頂いていて、今は見舞いに行ってあの子の笑顔を見ることが楽しみです。

 

 主人は6年前に膵臓がんと診断され、内視鏡で調べたりいろいろ診て頂いたのですが、結局自己免疫性膵炎とわかり、ステロイドの点滴を受けて、よくならせて頂きました。

 私も55歳の時に、クモ膜下出血を起こしお風呂で倒れたのですが、その少し前に、主人が60歳になり、定年退職しておりました。私は48日間入院したのですが、その間、美登里と私の面倒をみてくれて、ご都合お繰合せを頂きました。私に意識が戻った時、美登里の面倒を夫がみてくれていると知って、ほんとうにうれしく安堵しました。

 

 先生からは「おかげの筒の中で生かされているんだね」という言葉を頂きました。昨年の暮れには大動脈弁狭窄症という病気でカテーテルによる手術を受けたのですが、入院中教会長先生から毎朝メールを頂き、日めくりカレンダーの教えが添えてありました。まるで金光様がそばに居て下さるようで、大きな力を頂きました

 

 私にとって教会とは、親族や友人と励まし合いながら喜びを共にするところ、仲間たちと信心の話を共有できるところで、教会にお参りすることが楽しみです。79年の私の人生は、ご都合お繰合せを頂きっぱなしで、おかげの筒の中で生かされて、生きてきたのです。

 これからも先生や実家の父が教えてくれたありがとう、感謝の心を胸に、歩んで参りたいと願っております。


 お二人目は藤澤昌子(しょうこ)さん。


藤澤昌子さん。

 私は昭和37年宮崎県の生まれです。両親と三姉妹、その次女ですが、家族や親族は金光教の信心をしておりました。父は38歳の時に網膜剥離から失明しましたが、母は「どんな状況になっても神様だけは離さない」という強い信念で、父の目となり、手足となって、献身的に看護していました。

 父は「信心は幅広く、奥深く、高いもの、心眼を頂くためには神徳を積まねばならぬ」と言っておりました。

 

 20歳の時、私は聖マリアンヌ医科大学の東横病院の手術室に就職して、上京しました。大淀教会長の松井一先生と丸子教会の親先生は修徳殿の御用が一緒だったということがあって、丸子教会に参拝させて頂くようになりました。都会での若い女性の一人暮しです、親が心配して、いろいろなものを送ってきます。それを「教会にお持ちするように」と、つまり私を教会に近づけようとしていたのでした。

 

 親先生はやさしいおじいちゃんというイメージの方で、一人暮しの私に「“只今”って声に出して言ってごらん、気持ちが変ってくるよ」と教えて下さいました。

 結婚が決まった時、二つのことを教えて下さいました。「信心は家内に不和のなきが元なり」「親を大切にしなさい」ということでした。

 また「当り前のことを常に感謝するように、悩みがない時に無理して教会に来ることはないよ」とも言って下さいました。「日々の生活の中で、愛、思いやり、信頼の心を大切にし、お詫びとお礼の心を持つことが大切です」と。

 平成元年に難産の末、長男が誕生し、その後桶川市(埼玉県)で親と同居することになりました。丸子教会まで2時間かかり、なかなかお参りできなくなりましたが、母の生き方や親先生のお言葉を思い出して、祈っておりました。

 

 平成16年、親先生が帰幽された時は、ショックでしたが、その後も現教会長先生ご夫妻に、親先生と同じように接して頂いております。

 

 平成17年、宮崎の姉と妹が上京し、3人で丸子教会で一泊研修会に参加させて頂きました。姉は先生とメール交換をしていて、心の叫びを聞いて頂いていましたが、乳がんに罹りました。先生に「病気になると痛いことに気をとられ、不足が出がちです。今まで生かされてきたことにお礼申し、改まっていくことが大切です」と教えて頂き、22年1月2日、姉は心穏やかに帰幽させて頂きました。前日の1日には、家族の素晴らしさ、姉妹の有難さ、いのちの大切さについて、先生とメール交換し、「先生、ありがとうございます、私は幸せです、頑張ります」というのが最後のメールだったそうです。


 今年の5月1日、愛犬のエーデルが亡くなり、その死を受け入れられず、辛い思いをしましたが、先生や信徒の皆様に支えて頂いて、前向きになれたことを感謝しています。

 いろいろあった中で、元気に生きてこられたのは、金光教のおかげです。金光教を伝えてくれた親に感謝したいです。私にとって教会とは、生きる方向を教えてくれるところ、道を付けて下さるところ、です。今後も神様はもちろん、教会長先生ご夫妻や信徒のお仲間に感謝しながら、御用を通じて信心を学んでいきたいと願っております。

 


 その後、短い休憩ののち、参加者の皆さんに自己紹介を兼ねた一言スピーチをして頂き、コロナの蔓延防止措置期間中であることを考慮して、予定より20分早めて、閉会行事に移りました。


 閉会挨拶は、大塚東子信徒部次長。「私にとって教会とは」というテーマでお話して頂いたが、金光教の信者である私たちにとっては、人生を語ることであり、信心を語ることにつながっているのだなあと思った。

 お二方の感動的なお話を聴かせて頂いて、元気を頂き、感謝申し上げる。金光教を伝えてくれた親に感謝したいという一言が印象に残ったが、私たちもいつか子供たちに金光教を伝えてくれてありがとうと感謝される日が来るに違いなく、信心継承を頑張っていきたいと思う」と話し、横山教会長のご祈念を頂いて散会した。

 丸子教会には、この日の月例霊祭の予定を繰り下げて頂き、そのおかげで21名もの方がつどいに参加して下さり、コロナ禍の中を感謝申し上げます。丸子以外の教会からは7名の参加者があり、活発で楽しい意見交換が出来ました。


 また、立派な「女性のつどい」用のパンフレットを作って頂き、信者さんに前もってアンケートを実施して頂いたり、さらにはお菓子の詰め合わせを参加者全員に頂戴して、行き届いたお心遣いとご接待を頂きました。厚くお礼申し上げます。(記録 大塚)

2021年06月20日