教話講師研修会開催 (オンライン会議)

(2021/04/14)  

 

 

 4月14日(水)午後1時30分から、12名の参加者をもってリモートで開催された。
 開会行事、連合会長挨拶、講師紹介後、川上功績先生(品川教会長)を講師に、「現代人の心と教会、教導~今、教会で何が起こっているか」と題し、先生ご自身が直面し課題としておられる事例をもって次のように熱く語られた。


 現代は、自己決定・自己責任が求められる時代である。現代人は人に弱みを見せることができない。取次においても、教導されることを好まず、お詫びし改まるということを受け入れることが難しい。教導することよりも、自己責任社会に生きることに疲れた人に癒やしを与えることが、教会の役割として求められている。

 また、プライバシー意識の強い社会では、信徒の難儀を他の信徒に話すようなことは絶対にあってはならないことである。祈り合いということも含めて、個人の悩みを他の信奉者と共有することはできなくなっているのである。人間関係が希薄な社会では、人の難儀は見て見ぬふりをするものであり、共苦共感の感情は否定される傾向がある。

 かつては、おかげ話で信心が伝えられてきたが、現在は個人のおかげ話を公にすることが難しい。おかげを受ける元となる「難儀」は知られたくない恥であると考えるからである。


 現代は、共通の価値観を持った多数派としての「大衆」がいない時代であると言われている。それぞれが、協調を好まず、「弱み」をさらして相談することを好まず、独自の関心を持って生きている。自己完結型の人間が生きる社会になっている。

 このような人間の変化を認識した上で、何を語り、どう取り次ぐのかを求めていかねばならない。今私は「自分の神を持つ」ということと「教えに救われる」ということを語るようにしている。

 教祖の信心は、ある意味で「自己決定・自己責任」の信心である。「人を頼むにはおよばない。真の信心をして、自分で願っておかげを頂け」「わが心からも練り出すがよい」という教えの言葉は、自分の神を持ち、みなが取次者になるという信心を促すものである。「神になりても、神より上になるとは思うな」と戒めつつ、信心を個人に集約していくものなのだ。その意味では、教祖の信心は、現代を生きる人間に対して開かれたものである。

 また、習字をしていてある程度書けるようになっても、手本をはずすと書けなくなる。習字に手本が必要なように、私たちにも教えという手本が必要である。自分の神を持つためには、教えという手本にすがっていくことで、助かる道がついていくのである。

 今こそ、金光大神の信仰が力を持つ時代であると思って、伝え方を求めていきたい。



 

小休憩後、質疑応答では、参加者一人ひとりが共感し共有するような質疑が続き、大変意義ある講師会となった。最後に閉会行事をもって3時30分に閉会した。
(記・教師部 安達幸則)

2021年04月14日