(2025/07/05)
「教師信徒研修会」を開催
去る7月5日(土)午後1時半から4時まで、横浜市開港記念会館9号室において、講師に太田明さん(大崎教会信徒・全国信徒会委員長・教団会信徒議員)を迎えて、「教師信徒研修会」を開催、連合会内から27名(11教会)、他2名(2教会)が参加した。
開会ご祈念の後、開会挨拶で教会連合会長山田信二先生が次のように挨拶した。
「太田明さんには、ご多忙の中、お出でくださりありがとうございます。今日の研修会は、『教師信徒研修会』である。教師と信徒が一緒になって信心を求めあう集まりであることが、意義深いものであると感じる。教師も信徒も、信心を求める上では上下関係は一切ない。
一人の人間として、教祖様が教えてくれた生き方を学ばせて頂いて、そして実践しておかげを受けていく。連合会の活動方針に『信心を高める』、そして『信心の喜びを伝える』という目標があるが、今日は、太田さんのお話を聞かせてもらって、信心を求め、神様に喜んで頂ける私たちにならせて頂ければありがたい」
続いて、日程説明、講師紹介の後、講師太田明さんから、「かかわった活動と私たちの役割」と題して、レジュメに沿って講話を頂いた。
講話「かかわった活動と私たちの役割」
〇 はじめに
先ほど山田先生から話があったが、連合会として、このように教師信徒が一緒になって研修することは、大事なことであると思う。
講題に「かかわってきた活動」とあるが、私が組織の活動に触れていくのは、二十歳前後と思う。それまでは、会活動の中でも下っぱで、段々年齢が上になるにつれて、リーダー格になり、必然的にいろんな組織に顔を出すようになるので、そこがスタートとなる。60年ぐらい、ずっと活動をしてきた。
① 誕生
私は、昭和19年12月13日生まれで、既に80歳を超えた。生まれは、中国満州大連という所で、比較的海に近い。日本人が満州開拓団というか、みんな夢を持って満州に渡った。私の祖父も、おそらく私の生まれる何年か前に渡った、と思われる。
昭和20年8月15日に終戦となり、すぐには帰国できなかったが、奥地の人たちと比べると、早く引き揚げることができた。昭和22年に貨物船で冬の頃と思うが、日本海は相当揺れたようで、私たちは、京都府の舞鶴に上陸して、日本に引き揚げることができた。その時は、祖父と父母と私と、次男坊が母のお腹にいた。知人が埼玉にいたのでお世話になり、次男坊はそこで生まれた。
翌年の23年に、現在の品川区二葉に、お金を工面したと思うが、作業場と家族が居住する所を建てた。まだまだちゃんとした家にはなっていなかったと思うが、建具屋を営むことになった。
② 大崎教会との出会い
道を歩いている時に、八つ波の御紋が、ぱっと目に入った。それが大崎教会であった。
大崎教会がこれから造営するということで、その仕事を頂くということから、家族皆がお引き寄せ頂き、お参りすることになった。
教会では、ボーイスカウト、ガールスカウトをしていた。組織的な活動が、その辺からスタートするが、教会では後に、スカウトからフォーゲル隊へ変更する。当時リーダーがいなくて、元雄先生と二人で活動をしていた。段々に隊員ができて、隊員からリーダーとなり、成長していくわけである。そうして、先々には、金光教フォーゲル連盟のいろいろな御用をさせて頂くようになる。
③ フォーゲル活動や教区少年少女会活動への参画
私は、徐々にいろんなところに顔を出すようになって、隊長を引き受けて、約30年間務めさせて頂いたが、知っている方もおられると思うが、金光達太郎先生、金光教フォーゲルの総長であるが、金光先生と共に活動する機会が増えて行き、偉い人と付き合うことができてきた。金光教フォーゲル連盟の事務局にも顔を出すようになって、いろいろなことに関わらせてもらった。
一番大変な時にいたと思うのは、金光教フォーゲル憲章を作るのにあたって、金光先生は千葉大学の農学部の先生だったので、千葉大の施設を借りて、先輩の人たちと一緒にフォーゲル憲章の草案を作ったことがあり、自分は連盟の活動では、重要な時にいたな、と思う。
金光先生ともいろんな活動をする中で、フォーゲルの中心的な所に関わっていくようになった。常に金光先生が指導者講習会の主任講師など中心的な役割をしておられた。ある時期から金光先生が勇退され、私と同じ年の八王子教会の西川澄さんが次の総長となった。今まで金光先生一本であったものが、新しいメンバーとやるようになって、私も講師をさせて頂いたり、キャンプの隊長をさせて頂いたり、連盟の活動の中心的な役割を担うメンバーとして、お育て頂いたわけである。
ここで関東教区の話をしたいと思う。昔は関東教区の少年少女会は非常に活発であった。スカウトも少年少女会もフォーゲルもたくさんの教会で活動をしていた。かつては、神宮にある日本青年館や、有楽町にある読売ホールにたくさんの子供、保護者、先生方が集まって、そこでいろんな出し物を出し合うことができた時代であった。
しかし、それもいろんな状況の中で、活動ができなくなってしまうわけである。そこで、何とかしたいという思いで、リーダーたちが集まって、「いぶき会」を組織して、活動を進めた。一番思い出深いのは、山梨県富士宮にある田貫湖での野外キャンプである。
その後、大田区の多摩川台公園で、運動会を2回ほど行った。その後は、埼玉県の河川敷でも運動会を行った。約300名ぐらい集まる活発な活動ができた。これもずっと続くわけではなく、時代の流れとともに、それ以来復活できない状況である。
④ 家業である「建具屋」へ、事業後継者としての意識で
私のところは、建具業、建具屋さんであるが、私は外へ出る機会が多く、必然的に会社のこと、プラス協会のこと、そういうところへ顔を出すことになる。具体的に青年部とか、いろんな活動にも参加するようになる。業界の青年部長になって、全国的な組織のところにも出るようになって、それが段々積み重ねて行く間に、協会の中でもいろんな役職を頂き、現在東京建具協同組合、全国建具協同組合の副理事長の御用を頂いている。
たくさんの方々と会って、人間関係ができて、考えてみれば、全国に知っている人がいるという感じであった。
ところが、時代とともに生活様式が変わって行く。売り上げががたっと減って来る。売り上げと諸々の経費を差し引いて、どれだけ残るか、しっかり残ればいいけれど、そうでないと会社は左前で、そういう時期が今から19年ぐらい前に起きた。
「もうこれでは、やっていけないな、倒産だな」と脳裏をかすめたこともあった。そんな思いでいた時に救いがあった。いろんなお道の御用を頂いていたので、ご本部に行く機会が多かった。五代金光様、金光平輝様にお届けした時に、「お世話になっていること、お礼を土台に」という、お言葉を頂いた。
果たして、会社として、そのような思いでやって来たか、どうか。改めて考えさせて頂いた。そうすると、今まで表情が暗い、ダメかもしれない、悪かった顔色が段々に変わり、姿勢もピッとして、表情も今までと違って、明るくなった。決して状況は変わっていないが、一人ひとりの思いが、どんどん変わっていく。神様がついて下さっているように思う。そういうことになって初めて、どんなことでも神様にお願いさせて頂くという思いになった。気持ちが変わることによって、心持ちが変わり、表情も変わっていった。
そんなことで、19年立った今は、全部が改善されたかというと、そうはいかないが、その間つぶれることなく現在まで、会社が成り立って来ていること自体が、大きなおかげである。
⑤私たちの役割
これについては、人それぞれ違うと思う。お役に立つということから言えば、お手引き、人の話をよく聞いてあげて、その人の心を和らげてあげるとか、教会に導くことがベストである。今はでき難い状況にあるが、そこまでいかないにしても、相対する人に話を聞いてもらいたいという存在になったり、ちょっとしたお話をさせてもらったり、そのように、人から信用されることも大きなお役に立つことである。
一人ひとりが、そういう思いになって、信心していく中で、できることをさせてもらう。周りにたくさんあると思う。それを見つけ出して、少しでも御用に立てることを実行していくことが、お役に立つことにつながると思う。
私の場合は、一人ひとりのことというよりは、組織活動を通して、いろいろさせて頂くという立場でもあるわけで、考えてみると、協会関係のこと、教会のこと、地域のこと、諸々のことに関わらせて頂いて、そういう中から喜んで頂けることがたくさんあった。そういうことが、自分が成長する上での大きな支えであり、また一つのお役を頂いて、それを全うさせて頂いたことではないかと思っている。
今日このような機会を頂いて、60年間自分自身もよくやって来たなと、これも健康のおかげを頂いたからこそであり、神様がずっと助けてくださっているからである。皆様方も、健康には充分気をつけて頂いて、いろんな御用に使って頂ける皆さんになって頂きたいと思う。もう一度改めて反省しながら、これからの人生を歩んで参りたいと思っている。
以上のような講話を頂き、10分休憩して質疑応答を行った。
その後、閉会挨拶として、副会長であり信徒部長の山口和賀雄さんから、
「今日は、太田委員長、ありがとうございました。私は、関東信の委員として長い間御用しているが、委員長と話す機会がない。私がオンラインで参加していることもあるが。一見穏やかそうに見えるが、威厳があって、怖い感じがして、近寄りがたい感じがしていた。
今日のお話から、教団や保護司や業界や組合等の御用を通して、培われたものと思わせて頂いた。これを機会に近寄って行こうと思っている。奥様のお話も聞けて良かった。
レジュメの最後に、一本の木が、小さな芽から枝を伸ばし、葉を茂らせ、実をつけ大きく成長していく過程に、今の私の人生を重ねている。と書いてあるが、さらに実をつけて行けたらいいな、と思う。皆さんもそう思って頂けるとありがたい。」と挨拶があった。
その後、閉会のご祈念、全員で写真を撮影して、午後4時終了した。(南 清孝)
