◇ 教会紹介: 甲府教会・大明教会・南甲府教会

甲府教会
設立 1895(明治28)年3月11日
住所 〒400-0858 山梨県甲府市相生2-11-11
電話 055-233-7735
交通 甲府駅(JR)南口バス3番(伊勢町営業所行)「法人会館」下車徒歩5分


甲府教会初代教会長喜多儀平師は、香川県高松市より東上、英国人弁護士の元で働きながら語学、法律を習得し、信望を得て、弁護士がニュージーランドへ移住することになった時、請われて彼の地に渡った。そこで数年間を過ごした後帰国し、横浜教会で入信された。

師は、海外布教を志されたが、本部より時期尚早ということで差し止められ、止む無く夫人の郷里山梨で、明治二十七年布教を始められた。当時、中央線は開通しておらず、笹子峠を馬で越えられたということであるが、未知の土地での布教は困難を極めた。


大正二年、生家の事情により郷里に帰られたが、後継者がなかったため、三代金光様のお取次を頂き、豊橋教会副教会長牧野竹治郎師を二代教会長として迎え、韮崎、峡西方面にも教勢を伸ばされた。竹治郎師は、松本教会で九死一生のおかげを頂いて入信、教師となった高野武男師(後の三代教会長牧野武男師)を養女ますゑの夫として迎え、豊橋教会の手続きをもって後継者として、養子縁組して教会長を譲り、自らは新たに開教された大明教会に赴かれた。

武男師は、戦前、戦後の多難な時代を、わずか半年の間に、養父母、幼子を残して逝去した妻ますゑと、三つの葬儀を出すなど幾多の辛苦を味わい、さらに戦災で焼失した教会の復興にと死力を尽くして今の教会の基を築かれ、平成七年には元気に開教百年祭をお仕えしたが、それからわずか三か月後、朝のご祈念の声を聞きながら、九十七歳のご生涯を閉じられた。現在は、牧野眞幸師が四代教会長のご用をさせて頂いている。


大明教会
設立 1933(昭和8)年9月6日
住所 〒400-0404 山梨県南アルプス市古市場335
電話 055-282-1444
交通 甲府駅(JR)南口バス(①十五所経由又は西野系経由鰍沢行)「古市場」下車徒歩四分


大明教会の成り立ちは、大正三年頃から約十五年間、甲府教会に参拝し、初代教会長喜多儀平師の下、入信し信心に励んでいた深沢まさ氏のお手引きで入信した川込森吉氏、深沢まつ氏が山梨県中巨摩郡落合村(現南アルプス市落合)の自宅にて、当時二代甲府教会長であった牧野竹治郎師を招き、宅祭と教話を通して、共に布教活動し、竹治郎師が中心となり昭和四年に同郡大井村古市場(現南アルプス市古市場)で大明教会布教所を設立しました。

そして、甲府教会の後継者として婿養子に武男師を迎え、竹治郎師は大明布教に従事し、昭和八年九月金光教大明小教会所(後の大明教会)を開教、初代教会長に就任しました。

川込森吉氏の娘で信心に励み、昭和四年教師を拝命して大明教会布教所の御用に専念していた川込梅代師の養子として竹治郎師の孫にあたる京司師を後継者に迎え、昭和十四年三月竹治郎師帰幽の前年、梅代師が二代教会長に就任。梅代師帰幽後には、京司師が三代教会長に就任し、妻川込トミエ師と共に教会を守りました。

歴代教会長の御用にあたる信念について、竹治郎師は「心を神様に向け、神徳を積むこと」、「天地日月の心で信心すること」を心に刻み御用されました。

川込梅代師は「神様が見ていらっしゃるから、心に真の帯を締めて信心すること」と信心する心というものを大事にされました。

川込京司師は「世話になるすべてに礼を言う心」自らがお世話になるすべてのものを大切にされました。 現在は、光貴師が四代教会長に就任するとともに、姉の信子師とともに教会布教の御用にあたっています。


南甲府教会
設立 1950(昭和25)年8八月24日
住所 〒400-0857 山梨県甲府市幸町17-5
電話 055-237-3248
交通 南甲府駅(JR身延線)より徒歩15分


初代斉藤とくの師が、神奈川教会・福田源三郎師の元で入信され、故郷山梨に帰る際、大明教会・川込梅代師と津久井教会・田谷八重師よりお道の御用に立つように勧められ、昭和二十五年八月より、甲府市伊勢町(現:幸町)にて布教を開始され、教勢のあがる中にお倒れになり、昭和四十九年からは、養護老人ホームに入られました。

昭和五十二年教師となりました源三郎師の孫光一師が教会長代務者として、平成二十六年からは教会長として御用に当たっています。教師の常駐ができず、月一回の祭典をお仕えしています。(祭典の日時は信徒に直接連絡しています)

2024年01月19日