◇ 教会紹介: 大磯教会・武蔵小杉教会・相模原教会

大磯教会
設立 1962(昭和三十七)年11月21日
住所 〒255-0004 神奈川県中郡大磯町東小磯335
電話 0463-61-2201
交通 大磯駅 (JR)より徒歩11


大磯地区には鶴見教会の信徒があり、昭和二十五年頃 から篤信の人達が中心となって大磯講という組織を作って、月一回鶴見教会から櫻井浅次郎師を迎え、共励会を開いていた。やがて参会者が増えるに従って教会開設の要望が高まってくる。これに応えるため鶴見教会では敷地を購入し、昭和三七年秋に広前が完成した。ここで初代教会長に任命されたのが、鶴見教会の在籍教師柴美津江師で、当時二十八歳であった。

師は千葉県君津郡の農家に生まれ、十六歳のとき君津教会に参拝、教会長山田豊吉師の熱烈な信心に触れて信徒となった。昭和二十七年に鶴見教会に修行に入り、三十三年に教師を拝命している。開教した後も月に十数回鶴見教会に参拝し、信徒のこと我がことについてお取
次を頂いた。こうして大磯教会は教勢次第に盛んとなるが、昭和四十九年に惜しくも柴師が帰幽、櫻井信一師が兼務教会長を拝命。

米山友子師、倉井敏弘師が御用にあたられた後、昭和五十六年六月七日菅原守次夫妻が教会の留守番として入り、守次師は検定試験で教師となり、ミノリ師は金光教学院へ一年間修行に入り、守次師が教会長となりしが、平成十二年十二月十五日帰幽され、その後、妻のミノリ師が教会長に就任して「自他ともに助かる教会」をモットーに活動を進めた。

その後二〇一八(平成三十)年にミノリ師が教会長を退任され、二〇二二年現在は櫻井信一師が再び兼務教会長を拝命している。


武蔵小杉教会
設立 1974(昭和49)年5月31日
住所 〒211-0068 神奈川県川崎市中原区小杉御殿町2-82
電話 044-722-0417
交通 武蔵小杉駅 (東急東横)より徒歩13分


「この神様はなあ、天地の親神様です。親孝行をしようという気持ちであったら、どんなことでも聞いて下さる神様です」祖父は、十三歳の時ある教会の先生から言われたこの言葉にとても感動し信心をはじめました。祖父の三男である父が、祖父の戦時中成しえなかった東京布教の意を継いで、昭和四十七年にここ武蔵小杉の地に布教の根をおろし二年後の昭和四十九年に開教させていただいて以来、一日も途絶えることなく取次(とりつぎ)の業がなされております。

混迷極まる現代社会において、神と人とが共に助かるこの御道を、日に日に新たに切り開かせていただきたく存じます。


相模原教会
設立 1989(平成元)年6月12日
住所 〒252-0001 神奈川県座間市相模が丘4-66-13
電話 0462-52-1691
交通 ①相模原駅(小田急)バス(イオンモール座間行)「終点」下車5分
   ②南林間駅(小田急)バス(イオンモール座間行)「終点」下車5分


この教会は、初代教会長・田島悦子先生が独り身で、親教会(世田谷教会)の手続きをもって、昭和六十二年七月一日借家において布教が開始された。そして、平成元年には金光教相模原教会として認可された。その後、数多の人が助けられ在籍信徒も増え、平成四年には現在地(座間市相模が丘四―六十六―十三)の土地建物購入のおかげを蒙られた。

そして、九州より実母を引き取り介護をしながら取次の御用に従い、五年・十年の記念祭も奉仕された。平成十二年二月に母親を見送ることとなり、もともと病弱の身であり持病を抱えながらの日々の御用であった。そして、平成十五年三月五日突然に七十四歳の生涯を終えられた。

その後、教会の存続に関わる諸問題が生じるも、当時、世田谷教会長だった私は、相模原教会を兼務することになり、土地建物の購入など神様の広大なおかげを蒙らせて頂いた。平成十九年には金光教相模原教会長に就任し、教会布教二十年・二十五年・三十年と節年の記念祭も奉仕させて頂き、今年(令和四年)は、いみじくも教会布教三十五年の節年を迎えることとなった。

更に、明年の春季霊祭に併せて、先代教会長・田島悦子姫二十年祭をご奉仕させて頂く予定である。この相模原教会は、家庭的な雰囲気を大切に、家族揃っての参拝と信心の自立を目指して、「有り難い、喜びの心」を頂く稽古に取り組んでいる。

2024年01月19日