◇ 教会紹介: 平塚教会・登戸教会・生麦教会

平塚教会
設立 1935(昭和10)年12月27日
住所 〒254-0046 神奈川県平塚市立野町20-22
電話 0463-31-5520
交通 平塚駅 (JR) 北口バス7番 (平88伊勢原駅南行)
「立野町」(4停留所目) 下車徒歩3分


初代教会長・奥川正造師は、幼少の頃から信仰心が篤く、十九歳で京都から大阪に出て、医師として身を立てるべく勉学中、難波教会のご比礼見聞するにあたり、特別の動機らしきものも無く入信した。日頃の信仰好きからの事であったという。

やがて上京してからは、本郷教会に参拝し信心に励み、信徒総代の御用を務められるまでに至った。師は、再三再四に亘って、生命にかかわる所を、その都度奇跡的なおかげを蒙られ、世の人にこのお道を伝えたいとの願いをもたれていた。

そして、昭和四年、本郷教会二代教会長・西村伝蔵師の「御用に立て」とのお言葉を奉じて平塚布教に赴く事になる。五十一歳の事であった。

現在のNTTの場所に布教所を設けての発足だった。やがて平塚新宿に教会を新築し、昭和十年に教会長の任命を受けて教会が開設された。昭和十四年に正造師が帰幽された。

その後は、初代教会長夫人・奥川さき様が、戦前・戦中・戦後と教会を守られた。昭和二十一年に、御殿場教会在籍の若田達雄師が、教会後継の為に赴任し、教務の御用をされながら、毎月教会だより、ハガキ伝導を発行して布教を進め、家族の勢信心を願い、信心継承を進めていた。

平成十七年に現教会長・奥川美智雄師に教会長を譲り、現教会長も先代の信心を継承し、教会だよりを始め、月毎の祭典後の教話に力を入れて、信心の伝導に励んでいる。

なお、平成三十年十二月二日に奥川昌子姫が九十三歳で、令和三年一月九日に奥川達雄大人が九十八歳でお国替えして、名実ともに代替わりが出来ている。


登戸教会
設立 1936(昭和11)年12月16日
住所 〒214-0038 神奈川県川崎市多摩区生田5-24-9
電話 044-955-954
交通 ①読売ランド前駅 (小田急)バス1番 (05城下行)「馬場南」下車徒歩7分
   ②同駅より徒歩二十分


初代登戸教会長南吉三郎師は、三重県松阪で生まれ、三十歳の時、南むめ師と結婚、南姓を名乗り東京新宿三丁目で菓子製造販売を営みます。四十歳の時に坐骨神経痛を患い、あらゆる治療を試みますが良くならず、生きる気力を失いかけていた時、お店に飴を卸していた方から「そんなに苦しんでいるなら、一度金光教赤坂教会に参られてみてはどうですか」と勧められ、大正八年十月十九日夫婦で赤坂教会に、初参拝しました。

その時、初代教会長竹内伊兵衛師から「人間は、皆天地の親神様の大きなお働きの中で生かされて生きているのです」「おかげを頂きたいなら、一心になって、神様にお任せしなさい」とのご理解を頂き、そのことが契機となって信心に励み、入信して四か月後、全快のおかげを頂きました。そして、御礼参拝した時、竹内師から「神様へのお礼は、難儀を抱え苦しんでいる人を助けてあげることがお礼です」とのご理解を頂き、その後仕事を辞めて、布教の御用にあたります。

昭和七年には、川崎市登戸の地に移転して布教所を設け、同十一年十二月十六日には、登戸教会として公の認可を得ることができました。昭和二十三年南吉三郎師が七十歳で帰幽し、その後二代教会長に妻の南むめ師が、更に三代教会長に南ちよ子 師が、現在は、南清孝師が四代教会長として、御用にあたっています。


生麦教会
設立 1938(昭和13)年4月9日
住所 〒230-0078 神奈川県横浜市鶴見区岸谷1-24-14
電話 045-582-1860
交通 生麦駅 (京浜急行)より徒歩5分


昭和十三年四月九日に、小澤和儀師が金光教生麦小教会所を設立し、昭和十六年四月に初代教会長となられ、布教が始まりました。しかしながら当時日本は戦時中であり、小澤師は八ヶ月後の十二月に徴用され、残念な事に昭和二十一年に戦地にて亡くなられていた事が分かりました。

小澤師が戦地に赴くあいだ、鶴見教会副教会長櫻井源吾師が手代わりとして教会を守り、後に教義講究所(金光教学院)を卒業して鶴見に戻ってきた今村可乃師が後を引き継ぎ、教会を守りました。小澤師が帰幽されたと連絡が来た後、昭和二十一年十二月に、今村可乃師が生麦教会二代教会長に任命され、平成四年に亡くなられるまで終生御用に仕えられました。

その後、独り身の可乃師は、昭和三十三年に妹の長女である久子師を迎え、養女としました。昭和四十六年には、金光教甘木教会にて教師として御用に仕えていた福浦國廣師が、久子師と結婚、國廣師を跡取りとして養子に迎え入れました。可乃師が帰幽された後、平成五年に三代教会長として今村國廣師が就任。現在まで教会長として、久子師、息子夫妻の誠師、則子師と共に御用に当られています。

2024年01月19日