◇月日 2022年6月12日(日)
◇場所 武蔵小杉教会二階ホール
◇発表者
井上 黎 横浜西教会
藤澤 翔 丸子教会
小橋華世 武蔵小杉教会
◇司会
山田初子 相模原教会
金光教山梨教会布教130年の記念を踏まえて、テーマを「信心の継承」とした。
今年は若い人の視点から、金光教との繋がりを語ってもらい「信心の継承」をどう捉えているかを発表して頂いた。
発表者は二十代、三十代、五十代とエネルギー溢れる若い方たちで爽やかな風が吹き抜けた。参加者は44名。
井上さんは、卒論を書くにあたり、難儀が降りかかった時に先生から頂いた言葉「自分の力でしようとするから不安になる」「心配は神様に預けて」で心が救われ、楽しめますように、とお願いしたら、願い以上のおかげを頂かれた。「信心の継承」が出来たと言えるのは神様に心を向けたくなって、心が神様に向かうようになった時だと思う、と言われた。
藤澤さんは、祖父母の、広く深い信心が母に伝わり、その中で培われた信心を土台に、大学三年の時のボランティア活動の体験が彼の人生観を確固たるものにした。今は一歳の子育てを通して、信心の継承に取り組んでおられる。
小橋さんは、長年に亘り連合会の中心となって御用をされてきた母親の姿を見てきている。母親と共に少年少女会活動も楽しんで来られ、社会に出てからも活躍されてきた。今はピアノ教室の講師をされながら「人を育成する」という御用に取り組んでおられる。
全体懇談会では、なごやかに多くの方から意見を聞かせてもらった。
心配は神様に向けて
井上 黎 横浜西教会 國學院大學大学院に在学
母からの信心を受け継いでいて、0歳の時から、教会にお参りしている。父は信者ではないし、教会に来ることは少ないが、金光教についてよく理解してくれている。横浜西教会では先生ご一家が家族のように接してくださって有難い。
幼児の間は、自分の家庭しか知らないので、教会にお参りするのは普通だと思っていたが、小学生になって、金光教を信仰している異質さを感じた。例えば、「昨日の日曜日、何していた?」と訊かれて「お祭りに行ったよ」「お祭り?いいね!」と言われて、金光教の神様に対するお祭りなんだけど…と思った。
高三の時に、誘われて、本部で行われるソアリングキャンプに参加した。奥城で御神号奉唱というのを経験したが、参加した20名が「生神金光大神様」と願いを込めながら大声で唱える。全国には本気で信仰している仲間がこんなにいるんだと思って、子供の頃感じた違和感が解消された。
大学生になって、フォーゲル活動のリーダーになり、これからは勉強もアルバイトも信仰も頑張るぞと思ったのだが、気合を入れ過ぎたのか、一年生の前期は、不安や緊張を感じることが多くなり、学校に通えなくなってしまった。
お届すると『何事も自分でしようとするから、辛くなる。神様にお任せして、させて頂くという気持ちになりなさい』と教えて頂いた。その教えを実践すると、少しずつ体調が戻ってきて、一年の後期には元気に通えるようになった。
三年になるころ、コロナ禍に陥り、授業はリモートが主体になり、友人同士励まし合うことが出来ず、図書館も行きづらくなった。一年前期で取れていない単位も取らなくてはならない、そんな中で卒論を仕上げられるだろうか、とまた不安になったが、不安は神様にあずけて、卒論を楽しめますようにとお願いした。ぎりぎりで出来上がった卒論を、教授に届ける時にも、少しハラハラすることがあったが、結果はゼミの代表者に選ばれて、発表会に出て、最優秀賞を頂き、卒業式で表彰して頂いた。大学院にも合格させて頂けた。不安や緊張は神様にあずけることが大事だと思う。もちろん今日の発表のこともお願いしている。
私が信心を継承したと思えたのは、大学生の時に難儀を救っていただいてからである。神様に一番心を向けられたから、本心から心を向けられたからだ。しかし、信心の継承には難儀が必要というわけではない。神様に心を向けたくなる時に、いつでも向けることができる土壌をもっていることが大切なのではないだろうか。その土壌は、信心で培われた考え方、感じ方を家族や周囲の人とのコミュニケーションの中で話すことで育つと思う。だからと言って、何でも「神様のおかげ」と言われると、自分を否定されたような思いになることがある。何かいいことがあると、母はいつも「有難かったねえ」と言ってくれた。私を肯定しつつ、神様を押し付けずに、神様のおかげを認識させようとしていたのかなと思う。当り前のことが当り前であると思わず、有難いことと認識すること、いつも心で神様とつながっていることが大切かなと思う。
母方の祖父母からの信心で、大学生の時に金光教のボランティアグループが主催する、タイの社会問題を学ぶスタディーツアーに参加させて頂いて、勉強になった。
日本にいると、貧しい環境でかわいそうだと思いがちだが、そうではない。つらい環境の中で、懸命に生きていて、今を大事にしている人が多いことに気がついた。
今何が出来るかを考えて実行できるかどうか、ここが大切で、辛い状況の中でも、出来ることをひとつひとつやっていき、さらにその力を他者のために使うことで、幸せを感じられるのだと気がついた。また、他者と比較しないこと、世間的な評価やひとつの評価軸で測らず、出来たことを褒め、出来なかったことを反省する、そういうシンプルな見方を身につけたいと思った。
祖父からは「嫌いな人と仲良くなりなさい」と言われた。どんな処にも、合わない人はいるものだが、うまくつきあっていくことは大事だということ、逆の性格や考え方の人だからこそ、学べるものがあるということ。同じ考え方見方の人同士では、問題解決の方法が限られてくるということを教えられた。
祖母はやさしさと厳しさの使い分けが鋭い人で、心の籠った振る舞いが出来る人だった。そして、母は祖母の在り様を受け継いでいるなあと感じる。誰に対しても分け隔てなく同じ振る舞いが出来る人。苦難にする捉え方が上手だと思う。苦しみを単に辛いという感情で終わらせず、新たな見方をしたり、成長のきっかけにする前向きな考え方に変えることが出来る人。私は割にネガティブなほうなので、見習いたいと思う。
私には十か月になる男の子がいるが、育児というのは想像以上に大変で、大変さに驚きながら子育てに奮闘している状況。いろいろな人から教え伝えて頂いたことを、子供に伝えたいという思いもあるが、反面、子供自身が経験の中で感じていくであろうことを大切に出来る親でありたいとも思っている。
信心継承について、何をするのがいいのか、なかなか難しい問題だと思うが、言葉で伝えること、文字を読んで勉強するだけでは、伝わることは限られているのではないか。時間をかけて対話を続ける、一緒にいる時間を作るために交流の場を設ける、ということが大事かと思う。大工さんの仕事は見て覚えるとよく言われるが、信心も見て聞いて肌で感じることが大切、時間はかかるし、失敗もあるけれども、その中から工夫して実践することを繰り返す、時間をかけることこそが、信心の大切なところ、肝心なことを心の底まで落とすことにつながるのだと
母方の祖母からの信心で三代目。教会には赤ちゃんの時から出入りしている。父親の転勤で、大阪から那覇に移り、さらに福岡に転居して、神奈川県に来た。
薬屋さんの二階がアパートになっていて、一部屋がお広前、もうひと部屋が先生方のお住まいという狭い那覇教会で、教会のご長男と私という、参加者二名で少年少女会を経験した。また当時始められた遺骨収集奉仕活動に参加して貴重な体験をした。福岡高宮教会では、総勢五十名近くの仲間がいるような少年少女会の中で、学校のような横割りの仲間ではなく、縦割りの仲間と一緒に活動した。
楽しいばかりではなかったが、得意の音楽を生かした活動が出来、母親がリーダーをしていて、自ら脚本を書いて子供たちに劇を演じさせたりしたが、その中で自分も活躍の場を与えられて、楽しいことも多かった。主婦としての母しか知らなかったけど、お友達に「華世ちゃんのママってすごいね」と言われて誇らしく思ったが、母の、「書く、喋る、仕切る」という御用のスタイルはこの頃から芽を出していたのだと思う。
神奈川に引っ越してからも、少年少女会活動で鼓笛隊を作り、活動の中で、仲間でありながら、楽器の扱いや演奏の部分では指導者のような形になり、同じメンバーたちに「教える」ということに気を遣った。その時の体験が後にピアノ教師となった時に生きているなあと思う。信心の継承ということでは、少年少女会の果たした役割は大きかったと思っている。
信者として独り立ちしていると言えるには、三つの条件があると思う。一つは教会に参拝してお取次を頂くこと、二つは毎日ご祈念をすること、三つは御用をすることだろうと思っている。
人生には受験、仕事の成功、病気の治癒など、何としても叶えて頂きたいと思う願いがあるが、叶えられることも叶わないこともある。間違いなく言えることは、人生はその後も長く続いていくということ。望み通りに進んでも、予期せぬ試練が来たりする。そこで腐らず投げ出さず、乗り越えて行くことが大事。今は穏やかな時も、さざ波が立っている時も、大きな願い事がある時も、なるべく同じ熱量で今月今日のご祈念をさせて頂きたいと心がけている。
二十六歳になる娘も同じような気持ちで、行き帰りの通勤電車の中で、ご祈念をさせて頂いているようだ。
母は、少年少女会のリーダーとか原稿を書くとか、集会を企画し準備するとか、さまざまな御用をしてきたようだが、それはそれですごいと思うが、私はピアノ教師という仕事を通じて、世の中のお役に立っていきたいし、娘にもそういうことを期待している。
信心継承について、母に連れられて、教会にお参りし、教会の行事や活動に関わることで、自然に信心が身に付いていったのだと思うので、母の後ろ姿を見て育ってきた、というところかと思う。
今回こういう機会を与えて頂き、幼い時のことから今までさまざまな記憶を掘り起こし思い出した。これまで生かされて生きて来たのだということを実感し、改めて有難いという気持ちにならせて頂いた、そのことに感謝申し上げる。