女性のつどい 報告 (令和元年7月10日)
                   

信徒部主催の女性のつどいが7月10日(水)1時半、相模原教会を会場に開催され、9教会から21名が参加しました。時間前に参加申込者がすべて参集したので、5分前に開会しました。

 今回は、相模原教会の信徒3人の方による発表を受けて懇談するという内容で、テーマは「無意識な偏見への気づき」。ん?どういう内容?と思われるかもしれませんが、お三方の発題名を聴くと見当がつきます。

   山田初子さんの「視覚障害について」 
   麻場寿子さんの「LGBTについて」 
   藤井淳子さんの「重症心身障碍児(者)について」
   ( 休憩時に簡単な手話を学習 )
   安達教会長の感想
 


 まず、山田さんの発表から始まりました。

 数年前、友人と待ち合わせて道路で立ち話をしていた時、通りかかった方に注意を受けた。「踏んづけちゃあ、だめだよ」。道路上にある、黄色の案内表示の上に立って話していたのだった。もちろん、気付かずにしていたのだが、これは目の不自由な方にとっては命綱とも言えるもの、知らぬこととは言え、大いに反省させられた。

 その後、注意していると、案内表示の上に立つのはもちろん、自転車を置いたり、看板を置いたり、と気になることがいろいろあった。また、視覚障碍者のために音が出る信号機があり、いい方法だと思うが、その信号機がある横断歩道で事故があり、目の不自由な方が亡くなられた。音がうるさいので、近くの住民から夜だけ音を消してほしいと要望があり、深夜から早朝、音を停めた。
 ところが、早朝の電車に乗ったほうが空いていて乗りやすく、他人にも迷惑をかけないからと、一番電車に乗っていた視覚障碍者が、音が消えている信号機の横断報道で、事故に遭って命を落としたという。

 またよく白い杖(白杖=はくじょう)を持っている人を見かけるが、あれも許可がなければ持てない、自分勝手に購入出来るものではない。時に目が開いていて、傍目には見えるように思えることがあっても、実はほとんど見えていないのだということを知らねばならない。

 私たちはあまりにも、障碍者について知らないことが多すぎる。理解する努力をしなければならないのだと思う。
そのような経験を経て、女性のつどいで問題提起をしてみたいと思った。

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 続いて、麻場さんのお話

 映画「ボヘアミン・ラプソディ」を採り上げ、主人公がLGBTに苦しみながら、才能を伸ばしていくストーリーに感動した。私たちの多くはよく理解出来ていないので、気づかぬうちに、彼らを傷つけていることがあるのではないか、と思う。

  L=レズビアン(女性同性愛者)
  G=ゲイ(男性同性愛者)
  B= バイセクシャル(両性愛者)
  T=トランスジェンダー(心と体の性が一致しない)

 性的少数者(マイノリティー)と括られているが、全体の8.9%居ると言われている。中学校を例にとって考えると、40人学級としてクラスに3、6人居る計算になり、学年3クラスあるとして10人、学校全体3学年では30人になる。神奈川県の人口910万のうちでは81万人、山梨県82万なら7万人のということになり、これはもう少数者と言えないのではないか。左利きの人とほぼ同じくらいの数だと言われている。

 最近では、校則が改められて、例えば女生徒の制服に、スカートだけでなく、スラックスが選べるようになっていたり、髪型の規制がなくなったり、トイレも多機能トイレの数を増やしたり、工夫がみられる。さらに自治体ではパートナーシップ制度を設け、同性異性を問わずすべてのカップルを夫婦と同じとして認め、公的住居への入居申込や保険の受取人として認めるなど、制度も整備されてきている。

 しかし、反面、カミングアウト(告白)した時に、思わぬ事故を招いたことがあった。ある大学院生が同性の同級生を好きになり、告白した。ところが相手の人は、受け入れられなかっただけでなく、そのことを周囲に話してしまった。興味本位に噂が広がり、その学生は転落死した(自殺を疑われるが、はっきりそうとは言い切れない)という。知ってしまったことを口外しないということが絶対のルールとして守られていたら、この悲劇は防げたのではないかと思われる。

 金光教内では、LGBTを公にされている教師の方も居て、神様の目から見れば、誰もが大切な氏子であり、命である、という考え方に立ち、正しい知識を広めたいと「金光教LGBT会」を立ち上げて活動している。詳しくは検索してほしい。

 まとめとして、性の在り方は色の違いのようにはっきり分けられるようなものでなく、虹のようにグラデーションになって境界がぼやけているのではないか、ありのままをありのままに受け入れる、違いをそのまま受け入れることの大切さを理解してゆきたい。

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 最後に藤井さん(看護師)のお話

 皆さんは重症心身障碍者に接したことがあるだろうか。重度の知的障害があり(IQで言うと35以下)虚弱で常に介護を必要としている方。原因は出生前、出生時、出生後といろいろあるが、増加傾向にある。救えなかった命が医学の進歩で助かるようになってきているということ。また交通事故などの後遺症も増えている。ほぼ寝たきりで、食事も排泄も自力で出来ない方を日々相手にして、私が心がけていること。

・受け答え、挨拶などすべての対応を常に丁寧に行う。
・人格を尊重し、接し方に配慮する。例えば、いつまでも「ちゃん」づけで呼ばず、ある年齢になったら「さん」づけに変える。体が小さいので、つい幼児扱いをしてしまいがち。
・わかりやすい言葉で丁寧に説明する。威圧的にならないように。
・個人情報をうっかりもらさない。
・意見、訴えを無視せず、否定的な態度をとらない。
・長時間待たせない。
こういうことを1年に一度は自分自身に問いかけて、反省の材料としている。

 重症障碍児(者)に偏見を持たないでほしいと思う。ほとんど寝たきりで、体の自由は効かず、一見意思表示など出来ないと見えるが、実はまばたきだったり、わずかに動く小指で喜びや理解を表現してくれることもあって、意思疎通が図られているのだと感動することも多い。

 「おはようございます」と言ったら、ある日まばたきしてくれていることに気づいて、驚いたことがある。また、目が見えない方は、聴覚が発達していて、例えば音楽が聞こえると楽しそうにしたり、ある方は唱歌「ふるさと」を聴くと必ず涙を流したりする。

 時々車椅子で散歩に出かけると、様子を見た人が「かわいそうになあ----」と言ったりする。ここに偏見があるのだと思う。ご本人はもちろんご家族にも決して聞かせたくない一言。

 子供用の車椅子というのがあり、ほぼ寝たきり状態で乗るので、赤ちゃんのベビーカーのように見える。あまり成長しないので、中学生くらいの年齢でも、知らない人が見たら、乳母車に赤ちゃんか幼児が乗っているように見えるが、実はいわゆるベビーカーではなく、重症障碍児が載っている車椅子。

 ところが、車内、バスやプラットホームで「折りたたんで」って言われることもある。これなど、無知がなせることで、そういうものがあると知っていて、注意深く見たら、ベビーカーではないとわかるはず。あらゆる機会を捉えて、関心をもってほしいし、知ってほしいし、理解してほしいと願っている。

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 発表が終り、休憩時間中に簡単な手話を習いました。

その後、出席者全員に自己紹介をしながら、感想を話して頂きました。列記しますと、
・いいお話を聴かせて頂いた。参加してよかった。
・私はドイツに留学したことがあるが、ドイツではLGBTを自然に受け入れている。それで私も普通のこととして、受け入れられているように思う。
・よい勉強をさせて頂いた。先日バス停で、車椅子の方を見かけた。皆で手助けして、その方をバスに乗せるのを手伝っていた。うちの町内会の人だったので、今度役員会でそのことを「よい話」として披露したいと思っている。よいことを見聞きしたら、積極的に話して、励まし合いたい。
・私自身が聴覚障害になりつつあって----、遅ればせながら障害についての理解を深めたいと思っている。
・重いテーマのお話だったが、皆さんよく調べて発表されているので、感心した。うちの教会でも採り入れて、こういう勉強会をやってみたいと思った。

・30年ほど前、視覚障碍者の方に、お声をかけたら「けっこうです」と言われたことがある。私の声掛けの仕方が悪かったのだと思っているが、まずは障碍のこと、差別のこと、障碍者の置かれている状況など、よく知ることが大事なのだと気づいた。よい気づきを頂いたと有難く思う。
・道で助けが必要かもしれない方と出遭ったら、いきなり、手をとったり、肩に手をかけたりすると驚かれるので、まず横に並んで「何かお手伝いすること、ありますか?」と声掛けをするとよい。
・親切とお節介の差が難しい。助けの必要な方と、必要でない方が居る。よく見ることでよく知ることが出来るのではないか。投書欄で、障碍者の方の投書を読んだことがある。「町に出て、すれ違う方は誰も私を見ようとしない。私は相当変な歩き方をしているのに。気の毒だと思って見ないのだと思うが、見ることで理解出来るのだ。遠慮しないで見てほしい」。見ないのがマナーだと思って、私も見ないようにしていた。それを読んで目からうろこ状態になった。やはり、よく知ることが、理解の一歩だと思うので、見ること聴くこと読むこと、あらゆる機会を捉えてまず知っていきたい。
・私たちが住むこの社会を、支え合い、認め合う、調和のとれた社会にしていきたいものです。偏見や思い込みで物事を見ることのないように、信心を土台にして生きていきたいものだと思う。

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 最後に発言された安達教会長の感想をまとめにして、女性のつどいを終了としました。
 2時間半、短い時間でしたが、中身の濃い、充実した集会になりました。少なくとも、ここに参加した方々は、自分で気づかずに偏見を持っているかもしれないということ、それを避けるためにはまず知ることが大切、すべては知ることから始まるのだということを学べたのではないでしょうか。

 相模原教会の先生始め皆様、集会の準備からお世話、さらには発表まで、大変お世話になり、感謝のうちに散会しました。

 なお、障碍者という言葉と漢字の遣い方で付け足しておきます。元々、障碍者は碍という字を使っていましたが、当用漢字から外されたため、害を当てるようになりました。ところが、害という字は邪魔とか要らないものとか悪いイメージがあります。
 
  それで自治体などでは障がい者とひらがなを使って表記するようになりました。障はさわり、碍はさまたげという意味です。現在、自治体から送られて来る書類には障がい者と記されています。が、漢字とかなを交えて使うと、一つの単語として理解されない恐れがあるという理由から、テレビや新聞などでは、障害者と使われています。

 実際、どんな字を使おうと実態は変わらないのだから、字だけに気を遣うのはナンセンスというような意見が障碍者の方から寄せられるということもあるのだそうです。今回、ポスターに障碍者と使ったことから、そのままこの字を使用させて頂きました。
(文責・大塚東子)  
 
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