講話と夕食の会報告 (H29年12月2日 神奈川教会)
 

講話と夕食の会

  12月2日(水)、神奈川教会を会場にして長年続いている「講話と夕食の会」が開かれた。
当日は、13教会から39人の参加で、一時間半、日本橋教会の畑淳先生のお話をたっぷり聞かせていただいた。

   
   

 「恩にもとづく宗教」と、あまり耳にしたこともない講題に、どんなお話になるのかと興味津々で耳を傾けた。

 もともと、未信奉者に金光教をひと言で伝えるにはどのように言えばよいのかと、誰もが考えたことのある素朴な問いから始まった。先生も「ひと言で言うのは難しい」と言われたが、「天地の大恩」と補足していただいて少し身近になり、心の準備ができたように思えた。
 その後、畑先生はこの難題を筋道を立ててお話してくださった。

 まずは、金光教を語る時、ひとりよがりにならないように、根拠にもとづくものでなければならない。『金光教教典』や『天地は語る』のみ教えにもとづいて、体験や他宗教から見るとか、天地書附や課題など全体を照らし合わせた上で伝えることが大切であると話された。

 例えば、目の見えない人に象を触ってもらっても、触るところによってイメージが違ってくる。金光教を語るにも視点が偏ることなく全体を把握していることが大切である。先生もご自分がこれまで検証を重ねてこられたことを語ってくださった。自分が思ったり感じていることを一方的に話すのではなく、絶えず神様を向かい合って見い出されたものだと思われたし、教会御用もそのようにされていることが伺われた。

 30代の頃、借金をして大変だという人に、「人がお金を貸してくれていることを思わずに大変とは何ごとか、あんたの頭はおかしいのと違いますか」と叱りとばされるという衝撃的な場面に出合われた。人がお金を貸してくれている恩を知らなければならないというのだ。

 また、ご自分も25年の住宅ローンを10年で返し終えた夢のような信じられない体験も聞かせていただいた。

 それから、呉服屋さんが商品が売れなくなり多額の借金で追い詰められ、家族にも責められどうにもならなくなって神様に救いを求めた。さて、このような場合どのように導かれるのだろうか。「織物は、蚕が桑の実を食べ繭を作り、それをいただいて商品になる。だから在庫は神様のものとして、お客様に丁寧に話して見てもらうように」との教えをいただき、ポツポツと売れ始め、ついに無借金までになった。

 それぞれ信じられないような具体例ではあるが事実である。私達もその過程をかみしめたいところである。

 さて、元に戻って、ひと言で金光教をどのように表現すればよいか。ますます難しくなったように思うし、ひとりひとり自分で見つけるしかないとも思った。

 少し難しいお話だったかもしれないが、その後の懇親会では、賑やかに交流を深めることができた。(報告・吉岡裕子)